こんな本読みました。

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『神様の御用人 (2)』 浅葉なつ 著

2014/09/12(金) 00:15:13 浅葉なつ THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
神様の御用人 (2) (メディアワークス文庫)神様の御用人 (2) (メディアワークス文庫)
(2014/05/24)
浅葉なつ

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 はい続編ですー!モフモフの狐神様ーwww
 という、キャラ読み準備万端で読み始めたんですが、いやいやいや続編ってよく前作に比べるとインパクトが弱いっつーかまぁこんなもんでしょ、って思ったりするんですがいやいやいや、続編の方がもっと面白くなってるってすごいな!
 そして、いろいろ思索も深まってます。
 一作目と合わせてマジでお勧め!




相変わらず、「代理」御用人の良彦くんと方位神であるモフモフの黄金様がいいコンビですw

それと、新たに登場する神様がこれまた、愉快というか人間くさいというかチャーミングでして、うっかり神様だってことから忘れそうです(苦笑)

そして、新たにヒロイン登場。このお嬢さんがまた可愛いのうwwwええ子やのう(ホロリ)

大神様に御用を差し向けられるまでは待機してる良彦くんですが、待機らしい待機もしてないまま次々と神様の依頼に振り回されて、でもそれでも日本の神様や神話について勉強したり予備知識を得ようとしないで依頼されたときに初めてモフモフ神名検索機に教えてもらいながら出たとこ勝負でこなしていくところは、良彦くんというキャラの人柄の良さが無ければ読みにくかっただろうなーと思います。
この出たとこ勝負が逆に面白くしてるんですけど、それがプラスに作用してる。

依頼してきた神様や、穂乃香ちゃんや黄金様までもが良彦くんの直球の言葉に蒙を開かれる。
考えすぎず、シンプルに、直感や本能でたどり着く、神様の欲しいもの、欲しい言葉。
得がたい逸材というか、こんな人は人間の目から見てもいい人すぎる。
だから今はまだリアルな以前の友達とは疎遠になったと少ししょんぼりしてる良彦くんですが、友達はきっと良彦くんのこと忘れてないよ、うん。
ということで、続編3が出るなら今度はそんな昔の友達にも会えるシーンがあるといいよね。

いやーそれにしても、前作より面白くパワーアップしてて笑った笑った♪

目玉おやじの湯あたりとか、プラズマ走る夫婦喧嘩とかもうwww

でも、そんな一話一話に、神様と人間のかかわりあい、人として神様を敬うことの意味、そんなものが満ち溢れてます。
こういうのは一神教の信者さんにはわからんだろうし、仏教ともまた違う、日本の八百万の神々というものの成り立ちをかみ締めます。
ていうかね、前作より、神様と人間の境界線が曖昧になってたような気がする。
前作は、「神とは人間にとって不条理なもの、理不尽なもの」という厳然というか冷然とした境界線がわりとはっきり見えてたんですが。

これはたぶん、穂乃香ちゃんの効果。

彼女の存在が、良彦くんという人間側と、神様の側との触媒になってる感じ。

それともうひとつ。

舞台が京都であること。

良彦くんはじめ登場人物は全員が標準語で、京都の狭い路地だのなんだのといった土地勘も京都特有の風習もほとんど出てこないので、京都という実感はもちにくいかもしれないですが、
奈良や琵琶湖や出雲といった神話の生きる地名が出てくるにしても、八百万の神々を恐れ敬い、また時には疫神を宥め奉って鎮めてきた長い歴史が根付くここ京都は、改めて神様と人間との関係を考えるにはうってつけだと思います。
まただからこそ、孝太郎くんの二面性もぴったりと嵌まる。裏表のある京都。神職としての使命と、人間としての役割が両立してることに違和感がない。

神様は人間くさく、人間(良彦くん、穂乃香ちゃん、幸太郎くん)は神様にどこか近い。
人の子は、神の一部。
神は、人を見守り続ける。
人は、何を思いながら神様に対峙すればいいのか。
神社はなぜそこにあるのか。
もう一度、考えてみませんか。

この2巻の白眉はやっぱり、〈夫婦の事情〉だと思います。日本の根幹ですからね。
良彦くんの言葉が重くて感動する。
無償の愛、ってこういうことなんかなって。

人が一人で生きていくのは感情が麻痺するほど淋しいように、神様も忘れられていくのはやっぱり寂しいんだろうなあって、このシリーズを読むと素直に思えます。

神の存在を否定するのは自由だし、ひとの命は死んだら終わりであるとか願い事やお守りお札すら必要ないという人が実際にぎょうさん居てはるのも知ってます。
ついったのフォロワーさんの中に、いただいたお守りやお札を、気持ちだけありがたく受け取ってモノはさっさと捨てる、という人が何人か居てはるんですけど、いいとか悪いとかじゃなくて、寂しいなあ、と思う。贈り主の心が見える形になってるのに……、またお守りやお札に乗って守ろうとした神様の心も、どうすればいいのかなって。

良彦くんのように、神社にお参りに行ってお願いごとをして、ちゃんと事後報告とお礼もするのであれば、けじめはつくし、いただいたお守りやお札を一年後とか節句に神社でお炊き上げしてもらうなら悪くないことだと思うんですよね。

拝殿で手を合わせ、静かな心でお参りするということは、自分の心と対話する静謐な時間でもあります。

自分の心と向き合って答えを出すとき、自分自身の力によるものであるのは確かですけど、その静謐な時間と場所を提供してくれた(口実になってくれた)神様という存在は、神が実在であろうとなかろうとその人の心を支えたんだからそれでいいんではないのかな。

神頼みや神の存在をくだらないと一蹴するより、その姿が人と同じものであろうが自然崇拝や大地そのものであろうが神様という名の世界の秩序を守っていくことで心のバランスを保てるなら。
それって、心のゆとりというか、糊代のような感じで、心がやわらかくいられる気がする。自分の力のみを頼りに一瞬一瞬を緊張して精神的に張り詰めてるのは、硬い人だなあって思いません?

苦しいときや疲れたときに自分を否定したり世界を恨んだりする前に、心の重荷を一旦下ろせる場所が神社で、そこで自分の心を建て直し自分の世界の秩序を再構築していけば、それが一番いいことだと思う。

良彦くんは、お祖父さんに負けないくらい素晴らしい御用人です。
ぜひぜひ、これからも続編を書き続けてほしい。なんといっても八百万、まだまだたくさんの神様がいるからw
ああ面白かった!


(2014.9.3 読了)
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