こんな本読みました。

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『海うそ』 梨木香歩 著

2014/09/11(木) 23:04:56 梨木香歩 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
海うそ海うそ
(2014/04/10)
梨木 香歩

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 あああああ切ない(涙)
 ミステリではないのですが、ちょっとミステリのようなパズルのピースがかちっかちっと嵌る瞬間があったりして、感想を書くにもネタばらしにならないようにしないといけません。
 そして、ネタばらしなしにたぶん感想なんて書けません。
 未読のかたはなるべくこの作品を読んでから、わたしの戯言にお付き合いください。
 




この物語の3/4を占める、秋野さんのフィールド時代が、優しくあたたかく大らかでごつごつしてむき出しで夜が深くて闇がすぐそこにあって時間が雪のように降り積もって島を愛していた人々の生きている姿を綴ってあるのに対して、

残り1/4の五十年後の、このつるつるとした冷たさと闇を葬る傲慢さと自然を従わせる勘違いさと時間を海に捨てるもったいなさを読んでもう。

泣きました。

老境で、もうよろよろしてる秋野さんを蹴っ飛ばしてでも早く早く記録を残して!と急かしたい気持ちがいっぱいで。

そんな秋野さんはきっと、この遅島に選ばれた人だったんでしょう、だからこうして変わり行く姿を再び見せ付けた。記憶を更新させた。
その融合していくグラデーション。
これ、京都もそうですが、古代からの遺跡があったり歴史のふるい街に住むひとならきっとわかる。

この遅島からははるか遠く、でも同じようにずっと歴史を受け継いできた京都ですが、今の京都も当たり前ですが千二百年以上前の遷都されたころとは違うし、平安時代と鎌倉時代や室町時代や安土桃山時代とも町の様子はぜんぜん違います。
昔からの姿を金科玉条のように何が何でも守り通していたら、京都はとうに都じゃなくなってたはず。
不便なら便利になるように。
新しい建物や道路を建設したいならすればいい。
新しいが古いを取り込んで溶かし込んで、共有すればいい。
骨董品のように丁重に盲目的に保存しないといけないなんて、ない。
過去に、歴史に遠慮していたら、今の自分たちは住めない。自分たちが忘れなければいい。
ただね。
その、壊れゆくものの、在りし日の姿を知るひとにとって、跡形もなく壊されていくことは、自分の昔を思い出を丸ごと否定されるようなものなんでしょう。アンタはもう古いよって。感傷といわれようと何だろうと、自分の過去の一番大切な部分を木っ端微塵にされて泣かない人がどこにいる。
ましてや、自分以外もう誰一人として、往時のことを覚えていないとしたら。

この遅島の場合は、島の人たちがひっそりと語り継いできただけの、日本全体の歴史にもそれほど影響なさそうなこぢんまりした伝説や伝承でしかないものですが、それでもそこに確かにあの人たちは生きていて、そしてゆるゆると死んでいった墓標でもあるわけです。

ファクションなのに、小説を読んでるだけのわたしの心にそんな豊かな島の様子を植えつけておいて、五十年後によりによって秋野さんの息子さんがその島の大切な時間を無邪気に蹂躙していく様子を、そしてそれは別に罪でもなんでもない時代の趨勢だということを身をもって知ってて、その恩恵にぬくぬくと浸りきって生きているわたしは息子さんを詰れなくて、でも秋野さんに何度か止めてほしくて、もうどうしたらいいの。

朴訥な島のお年寄りたち。島のなかで生き抜くだけなら十分な知恵を持ってる人たち。
また、島の外で暮らして、本土や海外での見聞を携えて島に戻り、不便で静かで深い夜に溶け込みながら遠くを見つめる人たち。
秋野さんと語らう島の人たちがみんな素敵で、それでも島と秋野さんの間にある距離感を詰めることなく、きっと島の人たちはその後秋野さんのこともさらさらと思い出の人にラベリングして生きていったんだろうと思ったし(山根さんだけはそんなこともなかったでしょうが)、その上で五十年後のあのラストシーンに至ったことまで、すべてが切ない。

深い森、清冽な湧き水、島を覆う樹木や草花、語りかけてくる岩肌、そしてどんな姿になろうともそこにある霊山。
美しい蝶が舞い、じゃりじゃりと未舗装の道を歩き、獣道をかき分け、冷たいほどの月の光の下でひとは祈る。ひれ伏す。
秋野さんと梶井君が歩いた一週間は、島と会話し、時間を遡り、生きた空気を胸いっぱいに吸って吐いて、かつての修験者のように自然の移ろいとともに自分を受け入れるための儀式だったとわたしは思う。現実的と同時にスピリチュアルで、でも決してニューエイジのような飛躍はしない、文字通り地に足のついた通過儀礼。

梶井君の家のこと、すごく綺麗に筋道がつきましたよね!
最大のヒントは旅の道中の、梶井君と秋野さんの手の中にあった。なんという伏線の見事なこと。
この物語最大の謎がほぼ解明されて、でも今それを知りたいひとはもう居ないその哀しみと、誰かに確定されなくても梶井君とお母さんの凛とした佇まいを思い出してみればそれもどうでもいいのかなと思える清々しさに、愛惜も感傷も救われた気がします。

修験道で修行に励むかつての人たちの影を見て、
明治維新のごたごたの巻き添えくらった悲劇に暗澹たる気持ちになって、
それでも昭和初期の時代に、その出来事がもたらした嘆きを忘れないで笑顔で生きる人たちに癒されて、
山という御神体を畏れ、闇と死を忌み嫌うことなく、
今この時代を生きるわたし達を肯定してくれました。

前作『冬虫夏草』は、前に感想書きましたが「読む森林浴」のようでした。
そしてこの最新作『海うそ』は哲学的で、「溶け込む物語」そのまんまですね(笑)


めっちゃ印象に残った箇所。
「ひとは皆、気づけば生まれているのだ。事前に何の相談もなく、……」(100ページ)

(2014.5.13 読了)
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