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『光秀の定理』 垣根涼介 著

2014/03/12(水) 01:58:15 垣根涼介 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
光秀の定理 (単行本)光秀の定理 (単行本)
(2013/08/30)
垣根 涼介

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『光秀の定理(レンマ)』 垣根涼介 著(角川書店)
 夏に出て、ツイッターでえらい評判の良かったこの作品、チェックはしてたんですよええ。読むのが今っていったい。
 いやー、その評判どおり、面白かった!
 時代小説っぽいけど、いや時代小説ではあるんですけど、三人称で書かれてることとは別に、現代の視点で書いてあるので現代人にも分かりやすくてスッと入っていけます。大河ドラマを観てるみたいな感じで読めます。だからますます面白く感じたんですね。
 で、光秀をさらに貶すわけでもなく、反対に信長をdisることもなく、脇キャラの誰一人として絶対悪がいないんです。気持ちいい戦国時代の物語でした。



わたしのルーツの片方は、京都北部です。福知山や亀岡ではないですが。
わたしの母親は福知山に通学してたらしいです、女学生の頃。
お盆やお正月、GWに海水浴にと母方の実家に帰省するとき、亀岡を必ず通過するので、まったく知らない土地でもないですし。

で、丹波の大大名だった明智光秀のことを悪く言う人はあんまりいないんじゃないかな。
母も先日のお葬式からの帰りの車中で、「光秀さんのお城云々」と親しみをこめて話してましたし。
亀岡と福知山を中心に、丹波地方を整備してくれた人ですから。
現在に繋がる大阪(大坂)の基礎を太閤さんが作ったことで、大阪の人たちにとって太閤・秀吉さんが身近な人であるように。

領主様が領地を整え、民衆の生活を支えてラクにしてくれる、その領主様が誰に仕えてるかという大きな視点よりも切実に領主様が英邁な人であってくれることが望ましいわけで。
光秀は、まさにそういう名君だったんですね。

本能寺の変は、光秀と明智一族にとって、以後の歴史においてはずっと裏切り者のユダ扱いというか悪者にされてしまった出来事なんですが。
この作品はフィクションのはずなのに、あぁきっと光秀さんと明智一族は、自分達が下克上に成功するとはこれっぽっちも思ってなかった、このあとの時代を生き抜くことも考えていなかったんじゃないかな、と思ってしまう。
主君・信長を認めてなかったわけじゃないし、信長も明智一族を大切に思ってたし、それでも信長公を討たないといけないと思いつめた光秀さんは、その畏れ多さに打ち勝ち、絶望と悟りと未来への希望を行動に移した勇気がすごいなと。
正しいか間違ってるかは、後世の人々の判断に委ねて。普通、そこまで割り切れない。

だからこそ、架空のキャラクタである愚息と新九郎さんのような人たちが、実際に光秀さんの友達であったならどれだけ彼の人生は救われただろうと思ったりしました。ちょっと涙が出てくる。

光秀さんに引っ張り出された愚息&新九郎さんと信長との問答、ここは圧巻でしたね。
人間にとって、おそらく「死」の概念と同じくらい大切だとされている「心」についてのところ。鳥肌立ちましたわ。
そりゃ愚息さん、筋が通ってるはずです。いやもうこれは、日々何かを悩んでるのがアホみたいに思えてくる。愚息さん(と、一緒にいるうちに感化された新九郎さん)のように、心とか義理とか世の中のしがらみや執着とかそういう「べたついた」(という表現が何度も出てきましたよね)ものからできる限りの距離をおいて生きられたらどれだけラクか。

自由に、飄々と、そして足るを知りながら生きる二人。
一方、名門の出自という血脈を背負って縛られてそれでも人として品を失わなかった光秀さん。
嫌いになれないよ。
誰もが一本筋の通った愚息と新九郎さんに魅せられ、十兵衛さん(光秀さん)を支え、それでいて自分の保身と将来を見据える生々しい現実感を持った脇の人たち。
誰が悪いわけでもなくて、そういう時代だっただけ。
光秀さんには、感謝しないといけないんでしょうね。今の日本に生きて戦争に明け暮れなくてもいい時代を謳歌しているわたし達は。

歴史にifはないのは分かってるけど、本能寺の変が無かったら、日本はいったいどんな歴史を経ていたんだろうと思います。
いろいろイメージしようとは思うんですが、想像もできないの。
歴史の中で浮かんでは消えていく、誰も彼もが泡のような人間の営み、昔の人はいいこといいました。

この作品は、スケールが本当に大きい。
神仏に祈ること、自分の足で立つこと、生き様、従順な人と反骨精神に富む人、サラリーマンタイプかベンチャー気質かみたいな、そしてとことん考える人の中身の濃さ。
いろんな思いがわたしの中を巡り巡って、そして結論は。

なるようになる。

かな(笑)

考えることをやめるな。安易に答えを求めるな。自分で考えて考えて考え抜いて、出した結論に、結果がどうなっても自分は後悔しないから。

今を、生きる。

あれもアリで、これも、アリ。

自分の主人は、自分。ささやかでも自分の人生を誇り高く。

平凡な毎日、息が詰まりそうな逼迫感、何も成していない無力感……。中には居るだろうそんな読者に、愚息と新九郎さんがいろんなことを語りかけてくれます。
生きるのがラクになるかも。
死ぬのも、そんなに怖くなくなるかも。

ちゃんと叱り飛ばすこともできるくらい心を許せる、利害の絡まない友達って、いいなあ。

愚息が見せる博打は不思議なんですが、今で言う確率論。
長年考え続けてもその謎が解けない光秀さんの、城攻めのシーンからのあの展開は、おおっ!と楽しくなりましたね。
あと、新九郎さんが編み出した笹の葉の剣術。あまりに鮮烈すぎて、逆に血の臭いもグロテスクさも感じないわ。
この二人に比べて自分は…、と光秀さんはたえず自分を情けながっていたり、逆に信長旗下の中で自分の存在を重く捉えていたりとアンバランスに揺れ続けているんですが、光秀さんの人柄が良くなければ誰の飼い犬にもならないこの二人がそこまで付き合ってくれるはずもないのにね。

新九郎さんと愚息と光秀さんの、気安い友達関係が、だんだんと風雲急を告げるこの時代の不安定さの中で、本当に息のつけるオアシスのようでした。

本能寺の変に至る、光秀さんの心情を推理して、それからの世の趨勢を見切る愚息と新九郎さんのシーン。
当時は分からなくても、そのうちに分かってくることもある、見えてくるものもある。ただ、考え続けるのだけはやめるな。それが光秀さんへの、友達としての真心だから。二人の光秀さんを悼む気持ちに胸を打たれました。いい友達だー。

歴史の事実は事実として。
とにかく気持ちよい読後感で、それは本当にキャラクタの造形がお見事なんですよね。うん。
いいもの読みましたー。

ていうか、わたし、垣根さんの小説、お初だったんですよね。
ほかのも読んでみよう。



(2013.12.12 読了)
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