こんな本読みました。

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『愛と憎しみの豚』 中村安希 著 

2013/04/17(水) 01:02:14 エッセイ・ノンフィクション THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
愛と憎しみの豚愛と憎しみの豚
(2013/01/25)
中村 安希

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 …なんかすごいタイトルですよね。豚に、愛と、憎しみ。
 まあ、なんとなくイスラム圏のことが出てくるんだろなとは見当つきますが、いやいや予想以上に広く深く。
 電車に揺られながらガーッと読んでたんですけど、目の前をガk…もといお子ちゃまがウロウロしてても気にならないくらい集中してました。よく乗り過ごさなかったなあ、わたし…。




ご存知のかたは知ってるでしょうが(わかってて書いててもおかしい)、わたしは豚肉を食べません。牛肉も。でも、豚骨スープとかコラーゲン状のプルプルとか、要は「お肉ではないもの」なら平気です。
若い頃は食べてたんですよ、好きだったんですけどね……。
15年以上前になると思うけど、派手に胃を痛めて、一か月間寝込んでお粥さんとお豆腐しか食べられなくなった時があって、なんとか回復してきたかな、というときには気づいたら赤いお肉は消化できなくなってました。他にも天ぷらやポテチなどの油ものも一切駄目だったし、コーヒーは今でも口にしません。ていうかコーヒーで無茶して胃を壊したからねえ、戒めというか、ここで自分にコーヒーを許したらまたエスカレートして無茶苦茶するに決まってるからわたし。
おかげ様で今は揚げ物は大丈夫ですが、豚肉や牛肉のほんのカケラみたいなものでも食べるとそれからお腹痛くなってしまうんですよね…。

ま、そんなわけで、豚肉を食べる、という習慣はなくなったけど。
どういう切り口で「豚」の姿を書いたんだろう、と興味があって、読み始めたんです。

…………うおおおお!豚肉食べたいーーー!!

と、ヨダレが出ましたよ……(苦笑)

それも、日本人の好きなトンカツとかいうのじゃなくて、東欧諸国での伝統食、豚肉の脂身の塩漬け食べてみたい!

甘くてトロットロで美味しそう……!

宗教上、豚を忌避する人々と、その由来。
自分は無宗教者だから気にせずに食べる、という人。
外国で暮らして、教義のような汚れた動物ではないと知って食べてみたら美味しかったという人。

豚、というものを追いかける、その序盤だけでも、様々な豚の姿があって。

それだけでも考えさせられたんですが。

ヨーロッパに分け入ってみたら、もっと複雑な歴史や文化があって、人間も豚も翻弄されまくりでした。知らなかったよー。

豚、といえばドイツのソーセージ、みたいな安直な思考じゃなくて、もっともっと古くから、一神教よりも昔の、アミニズムというか日本の八百万の神々みたいなそんな土着の信仰の中に、自然に豚がいて、家畜化される前は猪で森の中に棲んでいて。
牛やヤギや羊と、豚との違い、民族によって牛を選んだ生活と豚を選んだ生活の違いって、そうだったのかあ、と。
あまりにも当たり前に、「スーパーやお肉屋さんに行けば並んでる豚肉」というものに馴染みすぎていて、「豚」という生き物そのものについては、なかなか考えてこなかったなあ。
家畜化された「豚」という時代と、それよりも以前の野生の「猪」だった時代も含めると、人間との付き合いは犬や猫なみに古くて、且つ「食料」であった豚と「仕事をする動物」であった牛や犬や猫とは情のかけ方が違ったんですよね。
はるか昔から、豚は、食べられるためのものだった。その意味では海や川の生き物、魚介類に近い。

中村さんの取材旅行は、その計画段階からフェイスブックなどのSNSが大活躍していました。グーグルマップも。
これは、前に読んだ『インパラの朝』には無かったこと。
深夜特急のようなアナログ旅人だった中村さんが、インターネットでの情報と繋がりを駆使したモバイラーな旅人に。
鄙びた農村での滞在を満喫しつつも、都会に帰ってきてシャワーや綺麗な服やネット環境を喜ぶ姿は、なんというか、ハイブリッドな旅人。
でも、肝心なところは直感やいきあたりばったりの部分で猪突猛進も辞さない武骨な旅人のままで。
通じない言葉の壁はグーグル翻訳で。これはもうドラえもんのホンニニャクコンニャクみたいでしょ。

豚で繋がってる世界と、SNSで繋がってる世界。
愛される豚と、蔑まれる「豚のような為政者」。
食べる選択と、食べない選択と、食べるしかなかった人々。
生き物ではなく、家畜でもなく、工場の製品のようにしか見なされなかった豚と、手間ひまかけて育て慈しみ感謝を込めて命をいただく人々とともに「行き続ける豚」。

豚の姿を追ううちに、ロシアの各地を訪れて。
そこで見た、共産主義時代の、恐怖の記憶。
それと、チェルノブイリ。
わたしは、福島の原発事故については、素粒子学や原子力に関わっていた学者さんのデータに基づく情報提供を信頼しているので気をつけていれば今のところは大丈夫だと思ってるし、もし将来の巨大地震で福井の原発が壊れた場合に備えて避難区域の記事は目を通して心に留めておく、その程度。
ままどおるはマジで美味しい。東北の物産展があるといつも買うねんままどおる。

ですが、チェルノブイリの事故から26年が経った今もガンガーカウンターが振り切れるとか奇形動物とか、深刻な事故が起きたのに無かったことにしようとした当時のソ連の政府のやり方……、その章は、なかなか文章がわたしの中に入ってこなかったです……。心が拒否していたような。
日本の原発事故でも、初動が間違っていたらこうなっていたかもしれず、将来こんな汚染地域になるかもしれない…。
わたしの中にもそんな危惧があるんですよね、やっぱり。
それを見せ付けられた気がして、目を背けたくなるというか…。
以前、中村さんのブログに綴られた、原発の是非についての意見は、わたしとはまるで違うので納得できないんですがそれはそれとして。

エッセイにもリーダビリティというのが合ってるのかどうかわかりませんが、ぐいぐい読める筆致と描写と展開。
伏線のように、あの時の言葉がここで繋がるのか!というリンク。
食べることを真正面から丁寧に見つめる目。
追い詰められて追い詰められて、開き直るその瞬間の弾け方への共感。
読者を飽きさせない。ずっとドキドキさせられっぱなし。

ただ、ラスト、終わり方にはびっくりしました。意図的なラストシーンなんでしょうが、いいのあれ。賛否両論あるんじゃないかな…。

ま、それはともかく、中身はみっちみちに詰まってます。

ピンクのかわいい装丁とは裏腹に、重く厳しい内容ですが、読む価値は大いにあります。
ぜひ!

(集英社)
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