こんな本読みました。

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『自由訳 方丈記』 新井 満 著 

2012/08/22(水) 16:32:15 エッセイ・ノンフィクション THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 いつもの本屋の店長さんに、「これこれ!読んでみはりましたか?w」と売り場の平積みの台のところに案内されてまでお勧めされた本です。はいお買い上げw
 ていうか、方丈記って。鴨長明って。…学校の古典の時間に読んだっきりじゃないかい?
 そして「自由訳」って。ほおぉぉぉ、現代の言葉に意訳するのを自由訳っていうのか~(←厳密にはちょっと違う気も)
 ……これ、今年2012年に出版されたことに、因縁というか意味があるような感じです。近い将来に必ず来るといわれる東海・東南海地震の不安を抱えるわたし達の、精神を太くしてくれるかもしれません……。






方丈記って、覚えてます?わたしは冒頭の部分だけしか…。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
……この後、何故か『枕草子』に接続してしまう、大混乱のわたしの脳みそ……。どちらも随筆だけあって、リズムが似てる気がするんですよね。

で、この本。
もちろん、原文も収録されてます。自由訳の部分と合わせて読み進めると、古典が苦手な人でもスラスラ読めるはず。
ていうか、原文では端折られた(当時の常識として、引用元や懇切丁寧な説明なんて書かなくてもよかったんでしょうね)、固有名詞や諸々、現代のわたし達がおいてかれないようにちゃんと「加筆」されてます。なので、現代人のエッセイとして読むといいと思う。

鴨長明が生きて、見た時代は、京の都の人々でさえ生きるのが大変で、簡単に命を落としてしまう世。貴人であろうがなかろうが、大火災や疫病や大飢饉などで死は明日にもやってくる不安。地方はもっと悲惨な時代。
財産を蓄え、豪奢な家を建てても、こんな不安な世の中では絶対の価値などありはしない。
方丈記が書かれるより二百年ばかり前は、煌びやかで美しくて明日への不安を感じなくても生きられたんですよね。竹取物語や枕草子や源氏物語の頃。
時代が移れば、人の心もうつろう。
それを、人々の慢心とは思わないです。
方丈記より少しだけ早い時代の、平家物語にあるように、盛者必衰。
トンネルには必ず出口があるし、夜の次には朝が来るし、いつまでも冬は続かない。ということは。
絶頂にあるものはなんであれ、衰退していくもの。死と同じように避けられないもの。大きなサイクルの通過点にすぎない。

今で言えば、極端な話、東京が大災害で壊滅して、一気に廃れていくのを目の当たりにするようなもの、かな?

衰退・退廃した都の人々を哀れみ嘆き、そこに個人的事情も重なって、鴨長明は出家し山の中に隠棲するわけですが。
ぼんやりと聞いたことがあるようなないような記憶だったんですが、改めて読むとまあ、知ってる地名がわんさか。ていうか、ほぼ完全にわたしの地元だ!(笑)細かい地名まで、どこら辺か全部わかるもんw
なるほどなあ、昔はこうやったんかあ…と、まるで地元の古地図を見るように読んでました。

日本文学史上、最高の「災害文学」、方丈記。
これが書かれた八百年前は、何故か現在のこれからを暗示するような陰鬱さと変革の機運に満ちていたんですね…。
大地震、津波(海から京都にまで到達する大津波って!これ、鴨川の氾濫が混じってることはない?学者さんに聞けばわかるでしょうが…)、大火事、疫病、飢餓……。
今のように、ボランティアがいるわけでもなく、かといって政府が災害対策本部を立ち上げるわけでもなく、人々は自分の命運を受け入れて死んでいくしかない時代。
都の一番大きな通でさえ、行き倒れた人々が放置され、河原(鴨川、宇治川、桂川の京都三大河川でしょうね)には死体がうずたかく積み上げられ……。
どこの地獄絵図ですか……。

そんな明日をも知れない世を辛くも生き延びた人たちが、次の時代をつくって。
そして、今に続いている。
この方丈記を書いた鴨長明さんも、八百年前の時の彼方に消えていった……。読んでるあいだじゅう、わたし達が学校で習った古典文学の作者の名前が泡のように浮かんでは押し流されていくのです…。

そうして無数の泡が生まれては消えていき、また生まれては消えていく、その中に、一瞬だけ虹色に煌いた泡があって、それが古典文学の作者や時の権力者として名を残した人の泡で。

ああ諸行無常……。
本当に、人の命は儚い。
でも、それでいいんだと思います。
生まれた泡のすべてが歴史に残るほどに重要なものだと、一気に可燃ガスが溜まりそう(苦笑)

名も無いわたしは、名も無い泡として、一瞬のうちに生まれ、消えていきます。
せめて、可もなく不可もない、平凡な泡でありたい。そう思います。

ところで、方丈記の中に、福原遷都が出てくるんですね(知らなかったというかまるっきり覚えてなかった…)。
その都遷りの章に、貴族が京都の自分の邸宅を解体して船で新都に運んで新しい邸宅の資材にしたとあって。
これ、古代の、大和朝廷といわれた頃から続いてたんですね。平安京になって都が固定されてからはまったく必要がなかったとしても、昔からの知恵というか常識として、古い建物を解体して新居の資材とすること。
……今のわたし達だったら、海外から輸入したり、山から大量の大木を切り倒して新たな資材にしそう。古いのはただ壊すだけ。ゴミが増えるだけ。
エコロジーを盛んに謳う現代ですが、昔の方がよほどエコ。ただし、人口が現在の比ではないので、単純に比較できませんけど。

で、ほんの一瞬だった福原遷都ですが、それでも旧都は一気に廃れ、公家社会は武家文化に呑まれていき、たぶん二度と平安(藤原氏を頂点とする)貴族文化は戻らなかった。
壊すのは簡単なんです。家でも、社会でも、文化でも。
そして二度と元には戻らない。
それが時代を推し進める原動力になる面もあるし、守るべき精神や文化を破壊してしまうマイナスの面もある。
こういうところも、現在のわたし達の鑑のようだと思いましたよ…。

言い伝えられ今に残る神話や読み継がれている古典文学には、それだけの意味と価値があるんですね。
消えていいものならとうに消えていたはず。
受け継がれてきた文学から、わたし達はたくさんのことを学ばなければいけないのでしょう。
遅すぎることはなく、今からでも間に合う。
先人達が(特に遺そうとは思わずに)遺してくれた、精神を。



(2012.6 デコ)
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