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『海馬亭通信』 村山早紀 著

2012/02/07(火) 17:22:07 村山早紀 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 児童文学になじみのあるかたなら、理論社から出た『やまんば娘、街へゆく 由布の海馬亭通信』というタイトルでご存知かも。わたしは最近になって、図書館で借りて読みました。
 あとがきにあるんですけれど、その理論社版が装いも新たに、さらに書き下ろしのおまけまでついてポプラ文庫ピュアフルから出ました。
 風早の街の、昔と今の物語。
 さて。どちらが昔?




申し訳ありませんが、どうしても最初にこれだけ叫ばせてください。
でないと、いろいろつっかえて、書けない。


豆太ーーーーー!!鞠子様ーーーー!!(号泣)

相変わらず、猫好き猫飼いの心をぎゅうぎゅうに締め付けてくださいます村山先生……ぜいぜい。

書き下ろしおまけの方に出てくるシーンなんですが。
本当に、一瞬で涙腺決壊、あとはただ涙が流れるのみ。
鞠子さんは、鞠子さんは……っっっ!
ごめんこれはいかん…読み終えてしばらく経ってても、思い出したらまた泣く……!

本編、というか、「海馬亭通信」の方にも子猫が2匹出てくるんですけど、印象が違うんです。
村山先生がまだ新人作家さんと言われた頃に書かれた物語のせいか、子猫は子猫として、どちらかというと毛糸玉のようなぽわぽわした感じで。
ところが、書き下ろしおまけの、「眠れる街のオルゴール」の方に出てくる猫たちは。
鞠子さんも千鶴先生のパートナーのとら猫も、そして豆太も。
猫という存在に癒されて救われて、それと猫たちの目と耳と心と言葉をしっかり描いてあるせいでしょう。
その違いが、村山先生の児童文学作家として培われた、物語世界の豊かなひろがりなのかな、と生意気なことを思いました。

(また、あとがきにあるんですが、現在の村山先生は、書き上がった原稿の直しはほとんどないそうです。でも、この物語を理論社から出すお仕事の当時は、担当さんに七回も書き直しを命じられたとか。
長く児童文学を書き続けてこられた先生の現在は、十七年後に再び海馬亭に集合するリリーさんや玲子さんや千鶴さんのようにキャリアアップをされた姿とダブります。先生もおそらくデビュー当時から今までずっと変わらず海馬亭の一員であって、その誇りと矜持が、猫の素晴らしい描写となっているんだなあ、と…)

さてと、いったん猫から離れますね(笑)

本編の「海馬亭通信」は一度読んでるのでだいたいのストーリーは覚えてますが、それでも愉しみました。
由布ちゃんの、ポジティブさや無鉄砲さ、実はわりとちゃっかりしてるところや(次はお漬物送ってって…w)、心の中ではツッコミを忘れないアグレッシブさ、そしてシンプルな優しさ。
山に残って由布ちゃんの手紙を待つお姉さんがいかにも長女で、由布ちゃんの妹らしい性格がイヤミなく前面に出ていて。
実はお姉さん、由布ちゃんが羨ましくてしょうがなかっただろうな…と、二人姉妹の長女であるわたしはつい感情移入してしまうのでした。お姉さんのセリフも何も出てこないのに(苦笑)
そんな風に、姿の見えないキャラクタのことも想像できるというのは、書簡体ならではですね。

いなくなったお父さんを探しに、山の神の娘が人間の街におりていく。

それが、あの風早の街。

人も、動物も、植物も、建物や道路や街灯や、海からの風や潮の香りにまで、歴史と心と言葉がある街。
幽霊や妖怪や超能力者がいたって、何の不思議もない街です。

海馬亭に住むことになって、そこに集う人々に混じって、人間の喜怒哀楽を知り、生命の刹那と永遠を知っていく、由布ちゃん。

人間よりも永い時間を生きる、山の神の一族であり、人の子でもある由布ちゃんの見る世界は、楽しくて綺麗で、同じくらいかなしい。
光と影が分かちがたくあるように、喜びも美しい世界も、かなしみと苦しみを経験しないと気付けないから。
お父さんがいなくなってしまった、というかなしみにずっと浸されてきた由布ちゃん母娘に、人間はかなしみを背負うのと同じ分量で喜びや楽しみを享受してるんだよ、という、風早の街からのアンサーストーリーになってる。そう思います。

海馬亭に住む人たちがまたみんな優しくていいひとで。

村山先生、リリーさんが一番描きやすかったのでは?と思うんですが(笑)

で、ネタばらしになってしまうけれど、由布ちゃんと伊達さん。

「眠れる街のオルゴール」の主人公、景くんとお父さんの関係と、対照的ですね。

十七年の間に、人間の世界の移ろいが心の表現まで変えてしまって、景くんの心は自分のためには動かなくなってしまった。
大人にとってのイイ子、を演じる、イマドキ珍しくない親子関係ですが、由布ちゃんと伊達さんがしっかりと寄り添って花火を見上げるシーンをもう一度読み返すと、自分の心に正直であることが「ワガママ」と言われるようになってしまった最近の風潮は、やりきれない思いです。
由布ちゃんのピカピカした笑顔と、同時に永遠なんてないんだと知る恐れ、それを包み込む伊達さんの大きさ…。
たぶん、子どもたちは根本的に変わってないんです、昔から。
ただ、大人が横着になってしまった。
子どもの面倒くさい部分を、嫌がるようになってしまった。
親に見捨てられないために、子どもは自衛のために、大人にとって都合のいい子を演じるようになってしまった…。

子どもがよく子猫を拾ってくるのは、擬似的に親子関係を作ろうとしてるんじゃないかな、とふと思いました。
御飯やトイレの世話、可愛いことも汚物の処理まで嫌がらずにしてあげる、という献身さは、実は自分が両親に求めてることで。
それを言うと嫌がられるのは聞かなくても分かってるから(親がそうした言動を見せていれば子どもなりに見抜きます)、自分の愛情表現は両親へではなく助けた子猫に向かう。
心理学の分野ではとうに研究とかされてるんでしょうが…。

大人が児童文学を読んで楽しむのはいいことですが、同じくらい、子どもたちの心の声を受け止められるだけの覚悟がないと、意味がない。
子ども達は、メルヘンの世界の存在じゃなく、いつかの自分達であり、未来の自分達でもあるから。
過去を見せ付けられ、未来を覗くことは怖いけれども、だからって子どもが疲弊するほどに逃げ足早く育て急ぐもんじゃないんですね。

幽霊が見えようが、妖怪や動物や植物と会話をしていようが、魔法が使えようが、それでいいじゃないですか。

この世は、ホログラムでありモザイク模様です。
決まった形のものばかりで出来てるより、ちょっと規格外の形があったり、厚みがまちまちだったりして、どんな絵の具でも出せない様々な色でできてる方が、モザイクは綺麗ですよ。
ひとかけひとかけに、それぞれの人生があって、それはそれで大事ですが。
おおきなモザイクというものさしで俯瞰すれば、微々たるもので。際立って目立つ色があったって、全体からすれば溶け込んでしまいます。

虹色タイル。
いずれ、物理法則も超えた時間の果てに宇宙の塵になるちっちゃい惑星が、太陽の超新星爆発のときに色とりどりの破片を宇宙の隅々にまで飛ばせるように。

わたし達は、多様性に富んだ、輝く一代限りの人生を、連綿と繋がる命を、丁寧に生きていこう。

村山先生のそんなメッセージが聞こえてくるような、そんな物語。

海馬亭通信も、近いうちにシリーズ二作目が出るそうです。
今回、書き下ろしでおまけの物語が“前編”だけ収録された、というのは、なかなか珍しい形ですが(笑)
続きが読める日が、早く来ますように☆


(ポプラ文庫ピュアフル)
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