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『極北ラプソディ』 海堂 尊 著

2012/01/11(水) 16:13:45 海堂 尊 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 週刊誌の連載で半分くらいは追っかけてたんですけど、根気のないわたしのこと、だんだん立ち読みに走るのを忘れるようになりまして…(おい)とりあえず最終回とその前くらいはまた立ち読みしたのでだいたいのラストは知ってるからもう単行本にまとまってもどこから読めばいいのやらで…。
 なので、感想も「だいたいこんなもん」な感じになります(苦笑)



ところで。

恥ずかしながらわたくし、「ラプソディ」という舶来の言葉をどう日本語で説明したものか、はっきり知りませんでした…。
いい機会なので調べてみたよ。
ヤフーの百科事典よりコピペ。

rhapsody [英語]
Rhapsodie [ドイツ語]

「狂詩曲」と訳される。幻想曲風で自由な形式の19世紀の器楽曲。ラプソディーとは元来、ギリシア叙事詩のなかの吟唱者が歌う一つの部分を意味した。この表題を共有するロマン派の器楽曲も、とくに初期のものは叙事詩的、英雄的、民族的性格を備えている。リストの19曲の『ハンガリー狂詩曲』(1846~85)はその好例であり、ドボルザークやバルトークの作品にもこの特徴が認められる。しかしブラームスの『二つのラプソディー』(1879)はバラード風の性格を示しており、さらに新しい時代の自由な感情表現の傾向を示す作品には、ジャズの語法を用いたアメリカの作曲家ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』(1924)がある。


………?
……………???

なんのこっちゃ。
「狂詩曲」ってどんなのですか?
幻想曲なの?自由律なの?叙事詩なの?

「ラプソディ」という語感だけで留めておけばよかったかもしれん。

ということで、この「ラプソディ」が「極北」に付いた場合、極北が幻想的なのか叙事詩っぽいのか、まぁそういうことなのでしょうか…。

と自分なりに辻褄を合わせたところで、『極北ラプソディ』の物語はちっとも幻想的でも叙事詩ちっくでもありませんことよ(笑)
まー相変わらずスピード感あふれる、医療現場のデフォルメが素晴らしくてねえw

前半は今中プー先生(風貌の描写がまるで熊のプーさん)と世良先生中心で、プー先生が主役っぽいんですが…。

はいはいはい~~(←風祭警部っぽく)
我らがジェネラル・ルージュが降臨してからはもう、カンッペキに将軍が主役!プー先生の影が薄い薄い。

さすが、「どこにいても主役にしかなれない男」by行灯先生♪♪

とにかく、今中先生と世良院長しかいない市民病院から、舞台が速水将軍のいらっしゃる極北救命救急センターに移ったとたん、極彩色になる。そんな感じ。

で。

終盤の話から書いて恐縮ですが、将軍スキーとして叫ばずにはいられない。

だーかーらー!言ったぢゃないですか速水先生!ハヤブサでいいの?って!言った『ブレイズメス1990』感想はこちら)


まだ駆け出しの外科医だった世良先生と花房さんの、まあ自然な流れの関係。

ところが、『凱旋』で彼女は何故か将軍にハグされて一緒に北に行くことになっていったい何がどうなってるのか意味不明。ただ、将軍は長年そばに仕えてくれたハヤブサを連れて行くのは当然っぽい展開で、おいちょっと待てそこのアンタ世良先生とはどうなったんだ今世良先生は市民病院を立て直すべく極北に居るんだがちゃんと過去は清算できてんのかコラ!みたいな(笑)

結論。やっぱり精算できてなかった。
ということで、昔の情熱がぶわっと甦った花房女史、世良先生に将軍との顛末を告白するのに自分の心の中にずっとアナタがいたのwはともかく、言うに事欠いて「速水先生の目には患者しか映っていない。そこに私の居場所はないんです」………吼えますよ?耳栓の準備はいいですか?

十八年も一緒に仕事しててオレンジ新棟ができてからはほぼ四六時中一緒に働いてたくせに、そんなこと今さら言うかボケ!!!

オレンジの翔子ちゃんの方がまだマシだ……。

ということで、まあ十八年ぶりに焼けぼっくいに火がついた世良ちゃんと花房女史のことはもう忘れましょう!

さて、ようやく全体の感想ですが。長かったなここまで…。

ドクターヘリ、医療現場と行政の摩擦、医師や看護師のギリギリ限界…、読みどころはいろいろあるんですが。

速水先生を認めながらも、将軍のルール無視に厳然と正論でぶつかる極北の医師やフライトスタッフたち。
今中先生の目から見た速水先生や極北救命救急スタッフの効率のよさ。
相変わらず冴え渡る第六感と、神の手の速水先生。

ドラマとかでは大概、救命救急は採算とれなくて大赤字を出すセクションで、この桜宮サーガでも東城医大のオレンジはそれでジェネラルを失う結果になったわけで。
桃倉センター長のもと、救命救急が黒字化というのは、現実からすれば夢でしょうね。ああ!だから「ラプソディ」なのか?!←書いてて今気が付いた人。
でもここに、海堂先生なりの思いが込められてるような気がします。
ジェネラルのようにとにかく患者の命を一人でも多く救うことが最優先、経理なんて一切考えないのではどうしたって末路は見えてる。でも、桃倉センター長のようなちょっとした気配りや節約を心がけることで、高度救命救急の現場を明るくし、ひいては受け入れる病院が増える可能性だって出てくる。要は現実感覚。

それと、速水先生はもちろん、世良先生や今中先生、伊達先生たち極北のスタッフ、そして久世先生にいたるまで。
キャラクタの全てに課せられた命題は、「経験」じゃないのかな。そんな風に感じました。
経験が浅ければどんどん積めばいい。
経験豊かならそれを後進に伝えないといけない。
今中先生の立場はもうはっきり、そうと書いてありますけど。
ドクターヘリの経験値をああいう「ルール」として明確にしたのも、そういう狙いがあったんじゃないかな。

世良先生の淋しく冷たい世界は、久世先生や花房女史の存在のおかげで少しずつ明るく暖かくなっていくのでしょうが。
反対に、速水先生は、ますます孤立化、冷たい世界に取り残されていくような気がして、これは、世良先生との振り子現象のような…。
どれだけスタンスが違って見えても、世良先生と速水先生は似ていて、背中合わせで、どちらかに光が当たれば反対にいる人が影になる。
東城医大に居た頃は、田口先生と島津先生の同期三人組として、顔を合わせていなくてもそれぞれのことを思い遣る友達がいてくれて、それでジェネラルは救われていたんでしょうけど…。
組織の破壊者、ルール無視の証人、と自らを呼ぶ速水先生には、もう、たとえ三年の期日が来ても東城医大に帰るという選択肢は端から捨ててるのかな…、そんな気がする、孤独な姿でした(涙)

プー先生の誠実さ、率直さに、捻くれ者の世良先生や速水先生までが影響を受けて、それが未来に良い方向に変わってくれればいいのに…と思わずにはいられませんよ☆
つまり、作者の海堂先生には、桜宮サーガの人物関係図はまだ不確定要素として揺らがせておいてほしいのです。

北海道と青森を含む、道州制っぽい枠組みの話は、現実の大阪都構想になぞらえたものだと思われますが。
どうなんでしょう…そううまくはいかないよねえ…。
とにかく、行政のトップが医療を自分の選挙パフォーマンスにしないことや(後でいくらでも公約を反故にされてしまう)、市民病院だからって赤字になっても気にもしない市民の意識や、医療現場の声…いろんな問題が詰め込まれた、お役人と、なぁなぁの市民にはさぞ耳の痛い物語だと(笑)

そして、世良先生の脳裏には、彼を「ジュノ」と呼んだ彼の人の面影がしっかりと息づいていました。
海堂先生が「バブル時代三部作」と仰る『1989』『1990』に続き、今『1991』が連載中。来年には単行本にまとまります。
速水先生や、東城大の高階さんも及ばない、医療の概念が突き抜けたあの御方の登場です。もちろん世良先生も。
この三部作で、極北までの世良先生の人生が一本にトレースできるのかな。


さてと。
ようつべで、リストの『ハンガリー狂詩曲』とか『ラプソディ・イン・ブルー』とか、検索してみるかな……。



(2011.12 朝日新聞出版)
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