こんな本読みました。

読んで感じて書き出して、そして忘れていく。備忘録ブログ。

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『砂漠の歌姫』 村山早紀 著

2011/11/14(月) 02:46:13 村山早紀 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 11月14日~、NHKでラジオドラマ化されるんです、この作品。それで村山先生がTwitterでメロメロに喜んでいらして。 
 未読だったわたしは、これは読まねば!と焦って取り寄せ。
 児童文学ですが、大人(のはず)のわたしも、こっくりと楽しめましたwこの物語を子ども達が学校の図書室や図書館で、目を輝かせて読んでいる様子がありありと浮かんできましたよ。





村山先生の作品を全部網羅したわけではないんですが(先生すみません!)、でも今まで読んできた作品はどれも、女の子がつよくて健気でいじらしいです。
この作品の主人公ユンも、なんと健気な…w
ユンの親友のジャッキやサファもいい子たちで気持ちいいし、ユンたちが助けた謎の女の子・リーヤも、たぶん生来はもっと闊達なんだろうなあと。

序章をしっかり把握していないと本編でのあれやこれやが心に迫ってこないので、“銀河の歴史が また、一ページ”な某スペースオペラ(今さらぼかさなくても…『銀英伝』ですよもちろん)の原作の第一巻みたいに、始めの部分を読み飛ばしても大丈夫と言われてる(笑)のとは正反対ですねw

頑なに心を閉ざすユンと、音楽堂の学友たちの壁。
狭い市街の中で必死に生きる子ども達と大人達との壁。
血みどろの歴史と昔語りとのギャップ。
いろんな思いが渦巻きました。

子ども達がこれを読んでまず思うのは、「友達」でしょうね。
心を許せる友達がいれば、毎日楽しいし勉強も頑張れる気がするし、頼られたいし頼りたい。
嫌われていると思うのは、どこかで自分が心を閉ざしているからじゃないか?自分のことを知ってもらおうと努力したか?
友達のために命をかけて、自分の身体や心の痛みすら投げ出してたたかうユンたちに、アニメのヒーロー(女の子だからヒロインなんですけど)を重ねて、息をつめて夢中になって読んでいると思います。

一方、もう擦り切れそうな大人が読むと、これがまた深いんですよねえ。
為政者とはどういうものか。
国民のためにのみ生きる王というもの、血統による王制の維持の是非、他国の情報収集と外交手腕のバランス、市民が為政者をどう盛り立てていくか、人間がコントロールできるものとできないもの、軍部の肥大化の危うさ……。
すべて、現実の社会、現実の日本に置き換えて考えさせられました。
ちょうど今年、この作品がラジオドラマ化されるというのは、現実の社会情勢と見事にシンクロする部分が多いからだとも思えてきました。

子どもの目というものを、甘く見てはいけないと。
目と耳と心で、理屈や利害関係ではなく直感で相手を見極める子どもは、一瞬で大人の本質を見抜きますね。ユンがそうだったし、レンデイやサファもそうで。
邪な視線、歪んだ顔というのは、子どもの目には、問答無用で鬼か悪魔なんでしょう。
だから、わたし達大人は、子どもに醜い顔を見せてはいけない。

熱砂の砂漠、命を奪う熱風と、蛇やさそりや空飛ぶ竜たち。
日本昔話の暗くじわじわとした恐ろしさは無い代わり、一瞬で倒れてしまいそうな恐怖。
そんな砂漠で必死に生きるユンやジャッキたち、優しい先生や魔術師たち。
地図さえない地下都市の冒険。
ファンタジーは、子ども達の心の世界をぐんと広げますね。
わたしも心のやらかい子ども時分に、もっとファンタジー読んでおけばよかった。親が買ってくれるのは偉人伝だのアンデルセンやイソップなどの童話とか。いやそれらが悪いわけじゃないんですが。

さっきちらりと書いた『銀英伝』のなかで、ヤン・ウェンリーのたくさんの名セリフのなかに、この『砂漠の歌姫』を読んでいる間中、また読み終えてからもずっと、頭の奥の方にちかちかと浮かび上がるものがいくつかありまして。

「戦っている相手国の民衆なんてどうなってもいい、という考えかただけはしないでくれ」……これはまさに、過去のエストバーンの歴代の王やパトゥーラの王に聞かせてやりたいし、

「偉人だの英雄だのの伝記を、子供達に教えるなんて、愚劣なことだ。異常者をみならえというも同じだからね」……わたしこれ、そのままの意味で取ってましたが、ファリサさんやイザさんがユンに諭したように、「昔話(この物語では、歌。神話や伝説とか言うもの)を信じすぎるな」という意味でもあったのかと。国の滅亡寸前のところを生き残った敗残の権力側の人間や後の歴史家が、恣意的に捏造や歪曲したりすることも往々にしてあるものだから、偉人や英雄がもしかしたらそうではなかったかもしれない、ということでもあったのですね。〈オルゴール王〉イファーン王のような。

「ことばでは伝わらないものがたしかにある。だけど、それはことばを使いつくした人だけが言えることだ」……名言中の名言ですね。そしてそれは、為政者が国民に対する姿勢とピタリと重なります。ギリギリまで自分が出来る限りの努力をし続けること。ことばを尽くして生きること。

……おそらく、「コルヌ歴、新コルヌ歴」「帝国軍」という単語が、わたしのなかで『銀英伝』に直結してしまった結果、混線したのだと思います。すみませんすみません(汗)

この砂漠の物語、過去の穏やかな繁栄と血生臭い世界の歴史を読む子ども達には、それぞれのシーンで、ひとりひとり別々のシンパシイを感じると思います。
レンデイのような、前向きでしたたかで優しい行政の次代の長。素晴らしいと思うか、甘いと思うか。
終盤ですが、イファーン王の真実が語られたところで明らかになった戦争の裏側。そして、それとは対照的なアストリンデの外交手腕。子どもといっても、たぶん、どちらがより卑怯だと思うかの評価は分かれるでしょう。十人が十人とも、イファーン王を陥れた軍部のやりかたをより卑怯だと言い切ることはないかもしれないと思うのです。中には、「隣国を攻めるのであれば当然で効率的だ」と言う子がいないとも限らない。そう思う子どもを否定することなく、大人が「ことばを使いつくして」卑怯な行為とはどういうものか、後々に汚点となるものはどういうものかを説いていくのも、長く生きてきた大人の使命でしょう。

わたしが一番好きなシーンはやはり、ユンがアラシアンの廃墟で月夜の下で歌うシーン。ファリサさん大好きです!

あと、本編の最初、ユンが授業中に思い出す、砂漠で遭難しかけた話。幼い頃に死に直面したユンが、クライマックスでザガットやオルやパトゥーラ王との対決で意識が遠のくほどに死に近づいたのとはぜんぜん違う、その成長が嬉しかった。
大好きな友達や先生達を思い、諦めることなくギリギリまで生きようとする、砂漠でお母さんに抱きしめられながら生きることを諦めかけたユンとは別人のようです。

わたし達大人が、“魔法水晶”を欲して、結果「災厄の日」を招かないように、子ども達を、文化や芸術を守れるだけの世界の余裕と心の余裕を、つよく意識して持たねばならないと、そう決意させる熱い砂漠の物語でした。

おっと、忘れてました。
表紙カバーの裏側、赤い竜と青い竜が水晶を支えてるイラスト。
読み終えて改めて見ると、この象徴は、涙が出そうになりました。イザさんとファリサさんが守った世界を、ユンやレンデイやジャッキやサファが、より美しく豊かに生きていますように☆



(偕成社軽装版ポッシュ)
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