こんな本読みました。

読んで感じて書き出して、そして忘れていく。備忘録ブログ。

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『天空のミラクル タロットカードは死の歌をうたう』 村山早紀 著

2011/09/05(月) 18:52:13 村山早紀 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 このシリーズは早く読みたいと思いつつ、なかなか叶わなくて、今になってやっと、という感じです。先生ごめんなさい(汗)
 たそがれ堂やかもめ亭と同じく、優しくあたたかく包み込んでくれる風早の街の、不思議の物語。
 特に女の子は大好きなお話だと思います。こういう魔法って、憧れるんですよ女の子は。
 もうすっかりオバサンのわたしが憧れるとただの痛いヒトなだけなんですけどね(苦笑)、でもかつて憧れたその気持ちを忘れることはしなくていいと思うのです。



笑ったり、涙が出たりと、相変わらず感情の波がうねうねする、風早の物語なんですが。

まず、これだけ書かせてください。


「冒険だ冒険だ、やっほー」wwwww

あははははは(爆笑)可愛いぞジャック!


いやもう付箋貼ったくらい笑ったですよ♪♪
あーもう可愛いなあ、わんこw

で、まじめな感想です。やっとか。

実はわたし、プロローグで既に涙が出てきたんですよ。
桜子姫と、お清。
黄色い目の、赤い竜。

次の一章で、現代のさやかちゃんの話になるんですけど、さやかちゃんの孤独と固さ。硬さ、じゃない気がする。
撥ね返すほどの硬質なんじゃなくて、水が氷になった固さ。本質は変わらないもの。
この固さって、桜子姫が匿われていた、お屋敷に似てるなーと感じましたよ。わたしだけかな。

優しい叔父さんや明るくて甘くいいにおいのするお姉さんのような編集者の桃崎さん。

それから、初めてできた友達、風子ちゃんと織姫ちゃん。なんていい子たちwww

淋しくて、そして最初から諦めてるさやかちゃんを、何も言わずに黙って待っててくれる叔父さんはマジで素敵。

この物語は、最後にすべてが救われます。
さやかちゃんに無関心だと思われたお母さんも、実はちゃんとさやかちゃんを見て分かってます。その孤独な心まで。

このお母さんのことが、一番嬉しかったかな。
娘は特に、母親と一度こじれるとなかなか関係を修復できないのは身をもって知ってる。
さやかちゃんが心から欲しいのは、お母さんのあたたかい眼差しですもん。しもやけ は、涙がどばーっと…。
よかったね、さやかちゃん。

人の心が、いろんなものを生み出す。

居たら見えたら面白いよなーから始まり、叙々に強い思い込みになっていったものが、幽霊や魔物を。

正しいことを、逃げ道を探さずに、ただ前を見て未来を信じてやりぬこうとする健やかな気持ちが、夢と奇跡を。

ズルしないで、物言わない何かや逆らえない弱いものに責任を押し付けずに、全てを自分が引き受けると決めた強い心が、怖いことや惑わすものを遠ざける。

…今の日本の、放射能汚染で不安に駆られている人に、これを読んでといいたくなりました。

放射能という目に見えない怖いものよりも先に、人の暴力的な言葉が、魔力を持つ悪魔に成長しようとしてるでしょう。
人の心をまず蝕んでる。実際の汚染よりも。

その恐怖を、さやかちゃんと桜子姫が放った弾丸が、打ち砕いてくれればいいのに。

さやかちゃんは、独力で心の目を閉じて「見えないようにした」けど、心まで閉ざしてしまって。
たぶん、彼女のちからは、古い銀の鉄砲に集中させることで指向性を獲得して、引き金をひいたその反動で、自分の固い心も砕いたんですね。
このあと、桃崎さんがにっこり笑ってくれて、抱きしめてくれた。本当はあの橋の上でお母さんにそうして欲しかったこと。
お母さんとは違うとはいえ、その夢が半分叶ったことで、あたたかい毛布に包まれた剥き出しの柔らかい心は守られて安心です。
正しいことを正しいと言えて、間違ってることは周りに流されずにちゃんと間違ってると言える、そんな大人が子どもを導くということ。そして。
誰かの幸せを祈り願う気持ちは、年齢に関係なく、自分も周りの大事な人も、同等に救うんです。

以前、『カフェかもめ亭』の感想で、「人それぞれが持っている世界のきれっぱしを、一瞬に貼り合わせて見せてくれる存在かも」と書きましたが。
悪い面でいえば。
魔法って、時間をショートカットするようなもので、時間をかけて築き上げた友情によって少しずつ見えてくる相手のことや、自分の将来を、その努力や絶望を経験しないで叶えてしまう気がします。
人間は、ていうか時間の概念にとらわれて生きる生き物は、その経験を積むために生きていくのに、神様ならともかく同じ人間にその部分をカットされてしまっては生きたことにならない。タブーなんでしょうね。物理学の法則とは別に、生命の意味で。
だから、昔から、魔法使いは忌避されたんじゃないのかなあ。大人になるほど魔法や魔法使いを否定するのは、人生を経験則ではかるものだから。人生経験の少ない子どもは魔法使いに出会ったとしても、面白がったり感動したりで、大人ほどにはタブー視しないと思う。

さやかちゃんが手にしたタロットカード、あれは「占い」じゃなくてその奥の「心のありよう」なので、難しく言えばガジェットということになるのでしょうが、ともかくさやかちゃんが持つ「視えてしまう力」の対比として「視えない人の為の装置」なんだなーと思います。合ってる?


あの赤い竜は、神様のようでありながら実は人間が居なければその存在価値のない、偶像(人間が勝手にイメージした神の像というか)のようなもの?
知りたくないことに気付かされて怖い存在で、でもぐっと堪えてありのままの自分を受け入れることで恐怖を畏怖に変えることもできそうな。
竜がすうっと消えていくシーンが、やけに淋しそうで印象的で。
そんなことを、しみじみ感じた、じんわりと優しいクライマックスでした。

桜子姫が、いずれは、お清と一緒に天空に上れますように。

悲しくなったり、淋しかったことを思い出したり、友達のあたたかさに触れていいなあと思ったり、ささやかな幸せと満ち足りた気持ちを感じたり。
そんな1冊。
きっと。本当にわたしの勝手な想像ですが。

村山先生は、執筆中は、主人公と一緒に、本当に涙ぐんだり声を出して笑ったり嬉しくなってちょっと脚を弾ませたりたまにくるくる回ったりしながら(おいおい)、書いておられるんじゃないのかなあ。
なんていうか、物語の中に込められた感情がひとつひとつ、リアルなんです。
これだけ感じるということは、先生がまず物語の中で一緒に感じて表現していないと、読者にまで一緒に涙を流したり笑ったりなんて伝わらない。
子ども達の幸せを、心から願っていないと。

子ども達の未来を憂うなら、まずわたし達大人がしっかりしないとね。
大人ほどたくさんの言葉を知らないからうまく伝わらない子どもの気持ちを、急かさずに待っているだけの辛抱を。
大人の事情を理解してくれて都合のいいようにできる、モノかロボットのように子どもを見ないだけの謙虚さを。

児童文学を大人が読むということは、そういう当たり前で正しい気持ちを忘れないでいるための、ひとつの方法なんでしょう。

風早の街は、やっぱりあたたかいです。

さー、続編も読むぞー!
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