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『猫と妻と暮らす 蘆野原偲郷』 小路幸也 著

2011/09/03(土) 10:59:50 小路幸也 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
猫と妻と暮らす 蘆野原偲郷
小路幸也
徳間書店



 今年刊行されるという小路さんの新刊のなかでも特に楽しみにしていた1冊♪連載追っかけるのを我慢してたんですが、はーーー…満腹wwwちがった、満足www
 小路さんの作品はどれもオススメなんですが、コレは猫が好きならなおさら読むべし!
 そしてわたしは、この作品を読んでるとき、読み終えてしばらく、偶然・たまたまでしょうが、妙なことになったのでした。むう。



蘆野原。
はるか昔から、人に災厄をもたらすものを祓う人々が住まう郷。
視点人物の和弥さんと、幼馴染で長をフォローする家の息子である泉水さん。

そして、猫になってしまう、妻・優美子さん。

話が進むにつれ、同じように郷の外で暮らす同郷の人や仲間を繋ぐ長老格の人、いろいろ出てきますが。

「長筋」と呼ばれ「長」にはなり切れずに、それでも長として大事を為していく和弥さんを支え見守る人々のあたたかさ。
何故見えないのか?感じないのか?(それには理由があったのですが)と責め立てず、むしろそのままで居なさい、と笑う人々。

事の前触れとして猫になる優美子さんをそのまま受け入れてる和弥さんですが、
この作品のタイトルである、「猫と妻と暮らす」というのはつまり、見た目には猫と妻はイコールなんだけど、でも違うと思う。

「見える」泉水さんや某々爺や上条先生のような人ならイコールで結ばれるんでしょうが、「見えない」和弥さんには猫と妻とはどこか別々なんですね。
むしろ、中盤で増えた「猫」の存在が、「猫と妻と~」の“猫”っぽい。

表紙カバーの猫は茶トラ、優美子さんって茶トラなんでしょうか?教授の引き合わせのシーンのイメージから、わたしは縞サビとか雉猫とかそっちな感じが。アメショーやロシアンブルーみたいな洋猫系じゃないですよねえ。

和弥さんが「事を為す」ときに唱えることば。
あれ、リズムというか韻を踏んでるあれ、あれは確か飛鳥時代とか古墳時代とか、もっと旧く記紀に出てくる神話を読んでるようでした。
そして、「蘆野原」という郷の位置づけ。

もうこれは、古代日本の、国刀自じゃないですか。平たくいえば、天皇家のような。

よみのくに、あまつちのち、…だいたい、さっきもちらりと書いたけど「蘆野原」って「蘆原中国」イザナギ・イザナミの国産み神話ですよね!「蘆原中津国」だったらアマテラスやけど。

まあ、奈良・平安~昭和の半ばまでは、天皇も権力闘争に関わっていてそれどころじゃなかったと思ってるので、第二次大戦後の昭和から平成の天皇の(国民には知られていない)公務といえばいいかな。

国民の安泰、安寧を天照大神に祈ること。国民の災厄の因果をその身に受けること。

だと以前に本で読みました。

和弥さんをはじめ蘆野原の人々は、便宜上この世とあの世を繋ぐ人という説明ですが、陰陽師とは違うと思います。
平安時代、天皇家や貴族が陰陽師を重用したのは、天皇の役割と陰陽師の役目が違ったからでしょう。

じゃなくて、もっと大きな、蘆野原という郷を基点にして森羅万象の意識と和弥さんの意識・肉体が分かちがたくひとつのものであるような。

祓うときの印の結びや声明は陰陽師と一緒ですが、意識の拡がりがもっと大きい。
世界の理を捻じ曲げることなく、ただあるがままに、そして歪んでるならそれを本来の健やかなカタチに。
特定の誰かのためじゃなく、国のためだけでもなく、ただ自分の存在理由(本質)として、災厄を祓う。

でも、変化も受け入れる。万物が不変であるなどとは思っていないから。
大事な人の死も、準備をしておけばショックは少なく受け止めやすいと知るように、いつまでも同じままではなくどこか時が止まったような郷にも変化と未来はやってくる。

人の世も意識も同じこと。

未来を考えよう。過去を大事にするのはいいけれども、未来のために。自分にできることを。
和弥さんや泉水さんたちのたたずまいを読んでいて、そんなことを改めて思いました。

中盤で登場する、もう一匹の猫が、「吉兆」と言われたように、前半と後半では、章のタイトルががらりと変わりますね。
どこか禍々しい「事」の名前が、清々しいものに。
ところが、物事には吉凶両面があるように、吉兆だったはずの蘆野原の郷と日本という国にも、ながく停滞の時が来た。
それが、今のこの国。
今はパワーが落ちてるこの日本ですが、またいつか羽ばたく日が来ますように、という小路さんの願いがこめられてる気がしました。


実は。
これ、深夜ベッドで横になって読んでたんです。体調が悪かったもので。
で、あと終わりまで10ページもないというところで、急に耳の奥がこぽんこぽん、と2回鳴って。

直後に、ものすごい眩暈。
横になってたから傍目には何の異常もなかったと思うけど、立ってたら間違いなく倒れてましたね。

まあ、体調悪いしちょい貧血気味かもしれんなー偶然やろなー、と思いつつその眩暈をやりすごし。

読み終えて、ほくほくと就寝。

そしたら、とんでもない夢が待ってました。
ウチの女王様、天寿を全うして虹の橋に旅立ってたんです、夢の中で。
嘘!でも朝一緒に寝てたよ?!撫でて抱っこしてトイレしたから掃除してカリカリあげて、そこに居たよ?!と混乱するわたしと、ああそうかもういないんだというのを忘れるくらいリアルに感じた鮮明なひとときの夢だったのか…と納得するわたしと。

朝の5時半に、女王様が「起きなさい、ご飯出しなさい!」とにゃーにゃー鳴いて起こしに来てくれたとき、まだ混乱してましたが、アレが夢でホッとしました☆
あんなに夢だか現だか境界が曖昧になった夢を見たのは、いつ以来かなあ。


(2011年 徳間書店)
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