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【妖しの世界への誘い】レポ2

2011/07/26(火) 18:39:13 イベントレポ THEME:その他 (ジャンル : その他 EDIT
お断りしておきますが、まだ有栖川先生の基調講演が終わったばかりです。さぁて、エンドマークが打たれるのはいつの日かッ!←壊れかけ。

ということで、つづきです。
ここから、シンポジウムに入ります。


客席から向かって右側から、有栖川先生、平井憲太郎さん(江戸川乱歩のお孫さん)、山口直孝さん(二松学舎大学教授で横溝正史について)、進行役の永井敦子さん(谷崎潤一郎記念館の学芸員)で着席されました。

まず、進行の永井さんから乱歩と谷崎についての概略など。谷崎に影響を受け、谷崎の『金色の死』で作家を目指したとされる。
平井憲太郎氏に、乱歩の思い出や人となりについてお話ください。

平井氏「祖父は私が中三の時に亡くなったんですが、パーキンソン病を患っておりまして、寝たり起きたりでした。思い出とよべるものは小学校三年か四年までです。
父(平井隆太郎氏)は一人っ子で私は初孫だったものですから可愛がってくれて、孫には優しい、いいお祖父ちゃんでした。
ですが、やはり作家という変わった商売ですから、不規則な生活で、晩ご飯を一緒に食べたりしないときもあり。
なので、伝聞という形になりますが。

普通の人でした。ただ、細かい人で、帳簿とかも実に細かい。
「ニセ電報事件」というのがあって、昭和38年9月のことで、その頃は電話電報でして、「乱歩が危篤(死んだ)」という電報が出て多くの人が駆けつけたんです。その頃には字が書けなくなっていたので母にメモさせていまして。「誰が来たか?」を。それを元にニセ電報出した人間を推理してました。「来なかった奴が怪しい」とか(会場笑)

(憲太郎氏が)本だけはいくら読んでも怒られませんでした。戦前の本もたくさんありましたし、ホームズの戦前の版で総ルビや旧仮名遣いの本など。
本当に普通の人で、ミステリーとは関係の無い世界でした」


次に有栖川先生にお鉢が回って、作家と家族・私生活の影響について?

有栖川先生「告白するには重すぎます(会場どっと)、他の作家のことは分からないし、言ったら舌禍事件になりますし…。
乱歩に関しては、「蔵の中で書いた」とか「蝋燭の灯で書いた」という伝説がありますが。
さっきも平井さんが仰ったように乱歩には整理癖があって、自分マニアでした(会場笑)自分に関する記事を片っ端からスクラップしてまして、それが『貼雑年譜』になりますが、たとえば「京都の舞妓さんが“好きなものはお饅頭と乱歩”と言った」という記事を見つけたらそれも取ってある。私もしたくなりますね(笑)

この整理癖のおかげで探偵小説界の動向や雑談まで残ってて、これが後々大きな意味を持つんですよ。後の作家やファンにとってそれにどれだけ恩恵を受けたか、幸せなことか」

次は、横溝正史について、横溝と谷崎の関係について、山口先生に。
山口氏「横溝は神戸の生まれで、乱歩にすすめられて東京に行ったんです。
横溝は幼い頃から本好きで、小学生で探偵小説を読んでました。黒岩涙香は居ましたが乱歩は居ない空白期です。
いい探偵小説が読みたいと、海外の翻訳小説も読んでました。「宝石」とか「殺人」というのがあれば探偵小説だろうとあたりをつけて読んでました。

横溝は、表現、書くほうも大好きで、よく投稿もしてまして、『恐ろしき四月馬鹿』で乱歩より早いデビューとされてますが、まだ学生で、それに横溝は家業を継ごうと、薬剤師を目指してました。その薬局に乱歩が現れて。
正史は人見知りで、三白眼で睨みつけてきた、と乱歩。ですが探偵小説への情熱があった。そこで、1925年、探偵小説好きな人を集めて「探偵趣味の会」を起こした。

横溝は編集者としても優秀で、筆の重い乱歩を奮い立たせて書かせたりしました。
1934年に専業作家になったんですが、若い頃の乱れた生活で喀血して病気になり、療養生活に入ります。
ここで探偵作家仲間が横溝をサポートして、仕事をまわしたりして生活の面倒を見ていました。
そして1935年、『鬼火』を発表しますが、それまでの都会風な作風から耽美風になります。

横溝の『真珠郎』の題字を谷崎が、序文を乱歩が書いたことからも横溝へのサポートが分かります。

共通点は、大正・昭和初期の探偵小説。
昭和四年に谷崎が『日本探偵小説全集第五篇』と『潤一郎 犯罪小説集』を出します。『日本探偵小説全集』で谷崎全集が第1回配本なんです。乱歩がどれだけ谷崎に愛情を持っていたか。
大正九年、谷崎は『途上』を発表してそれを乱歩が絶賛するんです、「プロパビリティの書いた犯罪小説」と。ですが谷崎は大変迷惑そうにして、「殺される妻の悲劇を見てほしい」と言った。

探偵小説雑誌「新青年」が谷崎に原稿を依頼するんですが谷崎は断りつづけ、横溝は渡辺温を説得に向かわせて谷崎はしぶしぶ書くことを了承するんですが、その直後に電報を受け取って、さっきまで会っていた渡辺温が踏切事故で亡くなった、と。谷崎は追悼文を書いて、その後発表したのが『武州公秘話』です」


そこで平井さんに、乱歩が谷崎を好きなエピソードなどを。

平井氏「全集や資料本のしまってある蔵があって、一番いいところに置かれていたのが谷崎全集でした。また、懇願して書いてもらった軸があります」

進行の永井氏「谷崎の『金色の死』が、乱歩の『パノラマ島奇談』に影響を与えました。三島由紀夫も『金色の死』が好きで、だんだん嫌になった谷崎は『金色の死』を全集から外してます。
また、乱歩の『屋根裏の散歩者』は谷崎の『秘密』の影響を受けてます」


レポ3につづく。
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