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『デス・コレクターズ』ジャック・カーリイ 著 

2011/06/24(金) 09:23:55 ジャック・カーリイ THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 本ミスやら早ミスやらをチェックしてて未読の作品を片っ端から(借りて)読むぞキャンペーンの第一弾v
 これは、ゼロ年代オールタイムベストにランキングされてます。
 また、昨年だったか、本格ミステリ作家クラブ10周年記念ということで、海外ミステリの中から優れた本格モノを、の企画によりこの『デス・コレクターズ』が選ばれたんでしたよね。それだけ(国は違えど)同業者のかたがたからも賞賛された海外ミステリ。
 うん、面白かったですよー、最初はちまちま読んでたけどそのうち止まらなくなって一気読みしてしまいましたからね。
 ということで、感想文書こうと。
 ただし!
 これから先、わたしの頭の中では比較対象としてキャロル・オコンネルを引き合いに出してけちょんけちょんにする予定です(笑)。オコンネルファンのかた、キャシー・マロリーはじめ彼女の生み出したキャラクタを愛するかたがたは、コレより先には進まないほうがよろしいかと思います。自己判断でどうぞ。




前作でデビュー作でもある『百番目の男』も、そりゃもう楽しく読んでてラストに腰砕けになったもののインパクトは強烈でした。その続編というかシリーズ2冊目として、期待が膨らみましたとも。

その期待は、裏切られませんでした。たぶん。←たぶんて…

んーとね、本格ミステリの純度が必ずしも高くない、ような気がする…のですよ。
前作同様のサイコサスペンスだし、人格破綻者やら異常者やらがてんこ盛りで理屈が通じないとか、警察小説でもあるという一面も…。
いえ、謎解きはぜんぜん問題ないです。
強いていうなら「意外な犯人」もの。これは前作でも同じでしたね。
で、前作でひっくり返った身としては、出てくるキャラクタを誰一人信用してないのですよ(笑)

主人公で視点人物の僕ことカーソン・ライダー、相棒のハリー・ノーチラス、そしてカーソンの兄・ジェレミー・リッジクリフ。
前作は警察内部がぐにぐにに歪んでたのでいけ好かない同僚とか上司とかもわんさか出てきましたが、今作は警察関係者はほぼまともな人ばかり。
むしろ事件を追ううちに現れる、あの人この人みんなどこか壊れてる。
けれどもそれを補うように。
アヴァが去った後を埋めるように、少しずつ距離が近付いていくカーソンとディーディー・ダンベリーの掛け合いはウィットに富んでにまにましたし、相変わらずフォローの上手いハリーとそのハリーを心から頼りにしてるカーソンのコンビも健在、そして兄との確執、または桎梏。

でもわたし、何故か嫌いになれないんですよね、ジェレミー・リッジクリフ氏。
とんでもない人だとは思うけど、感覚がここまで鋭敏になると、これくらい壊れてないと生きていけないだろうし。
それに、弟に対する情が愛なのか憎しみなのか、本人にも分からないだろうところが、哀れでもある。結局、何のために一生を病院の中で生き続けないといけないのか分からなくなるだろうから。

真相が見え始めたあたりから、展開するスピードもぐっと速まります。
クライマックスの命を賭けたシーンはさすがにちょっとどきどきしました。
悲しい結果に終わったけど、でもようやくみんなが安らぐことができたのかなとも思う。
そして、全体像を解き明かした悲劇のあと、最後の仕上げとばかりにあの人物に本当の名前を返してあげた、あの展開は、美しかった。
この純粋すぎるほど純粋で、かつ鮮烈な魂の持ち主が、ここに居てよかったと思えた。ねじれてるけどね。

このジャック・カーリイという作家さんは、わたしにとっては読みやすいです。
普段あまりサイコサスペンスを好んで読む方じゃないんですけど、どれだけ描写がグロくてもぜんぜん問題なく、むしろそれによってどうキャラクタが動くのかが楽しみでもあり。

ところで、わたしにしては珍しいことに、主人公のカーソンでさえ感情移入できないんです。カーソンよりよほど健全であるはずのハリーでも。
いっぽう、前作のアヴァにしてもクレアにしても、女性の歪みを感じ取りはするものの嫌悪感はないし、今回のダンベリーも最初こそいけすかない感じに書かれているわりに話が進むとどんどんマリア様っぽくなってくる(笑)
さっきも書きましたがシリーズのキーパーソンであるジェレミーも、完全に壊れてるとは思えないくらい実は理性的な感じもするし、罪を犯した時点で彼の時間が止まってしまったことも彼自身の贖罪であると思うと、気の毒ですらある。言動そのものは、どぎつくて、えげつないんですけどね。

この、作者とキャラクタと読者の距離感が絶妙で、適度に離して楽しく読むことができる。
これが、キャロル・オコンネルの作品にはない気がするんです。

傑作として褒めそやされてる『愛おしい骨』にしてもキャラクタの造形を創り込み過ぎて息苦しい。
それと、音がしそうなほどの粘着感。べたべたと。ぬらぬらと。
作品世界の中の空気が澱んでるというより、腐ってる感じもする。腐臭に耐えて読み進めていくと、クライマックスではその腐臭がぱあっと晴れるほどのサプライズというかカタルシスがあると分かっていても、そこに辿り付くまでに耐え切れずに私が倒れそう…。

『クリスマスに少女は還る』を読んだときはそれほど拒絶反応がなかったので、これはキャリアを重ねるに従って身に付いた技術のデコレーションが過ぎたせいか、と。

とにかく、作者が作品世界にそこまで入り込まなくてもいいんです。
読者に、情景やキャラクタの内面をイメージさせ、想像(妄想)するだけの「余白」というか「糊代」、業界っぽくいうなら「行間」をあけてほしい。わたしは、それが楽しくて本を読むんです。
例えば、この『デス・コレクターズ』の主人公・カーソンと今回のヒロイン役であるダンベリー女史ですが、最初は彼女のことを嫌ってるんです、彼。
一方、彼女はズカズカと近付いてきて距離を詰めていく。カーソンのパーソナルデータだって本人に無断で平気でリサーチする。彼女にはそうして強気に出られるだけのバックがあるから。
このダンベリーとの駆け引きで、少しずつ惹き寄せられるカーソンの心の動きを、作者のカーリイさんはざっくりとしか描写してません。読者に好きにイメージさせてくれる。
もしこれをオコンネルが書いたら。
きっと、カーソンのパートとダンベリーのパートをそれぞれみっちりと、感情の揺れをすみずみまでこれでもかってくらいに書き尽くしてしまう。読者はただ受身でいるしかない。

行間ぎっちぎちに詰め込むオコンネルと、(わたしにとっては)適度に空間があって自由に想像することもできるジャック・カーリイと。

軍配がどちらに上がるかなんて、わたしには自明の理です。

(文春文庫)
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