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『ラットマン』 道尾秀介 著

2008/09/03(水) 11:17:40 道尾秀介 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 なんとかぼかして感想を書こうと思いますが、それでもやっぱりネタバレになってしまう気がします。
 未読のかたは、これより先にお進みになりませんよう。





個人的に道尾さんにはいろいろと複雑に思うところがあるので、一気に読み終えてしまおう、と図書館で借りてくるなり早速本を開きました。

一言でいえば、まあ、道尾さんらしい、どんでん返し×3ってやつですね。

そして、構成がどことなく伊坂氏を思わせるものになっているように思います。

冒頭のエレベーターのシーンが何やら思わせぶりに展開している思ったら、いきなり第一章が始まって、放り出されたまま、主人公格の姫川 亮という男性の物語が差し出されます。
30歳になる亮と、高校時代からの友人でバンド仲間の竹内耕太、谷尾瑛士、紅一点の小野木ひかり。ひかりと亮は付き合っていて、二年前ひかりがバンドを抜けてスタジオのスタッフになってからは、ひかりの妹の桂(けい)が代わりにドラマーとして加わっている。
亮は、小学生になったばかりの頃に家族を失いバラバラになるという事件を経験しており、その為に彼の内面はかなり強烈なPTSDを抱えているらしいことと、そのことを現在の友人の誰にも話していないこと。
また、ひかりの妊娠が発覚。しかし、彼女は堕胎すると言って淡々と手続きを済ませ、また亮も心の傷の為に結婚や子どもというものに否定的だった。

それに、亮には、ひかりのお腹の子の父親ではないはずだという思いがあり、またひかり以外の女性に想いが移ってしまったことを少しずつ自覚するうちに、ある決意を抱く。

亮の前にぽんぽんと都合良く差し出されるチャンス、それらをインプットしながらも、自身の過去のフィードバックとの間で揺れ動く意識。
亮が決意を見せた時から、倒叙スタイルで進みます。
そして、起こった事件。
仲間たちの視線と疑問。昔馴染みの刑事の眼光。亮は、亡き父の言葉を胸に、状況を乗りきろうとするのですが…。

んー、巷で言われている通り、これは『シャドウ』と同じような、心理面・人間性をミスディレクションに使った、道尾さんらしいミステリです。
『シャドウ』が好きだった人には、間違いなくツボに嵌まる作品。

じゃ、道尾さんのファン以外のミステリ読みがどういう感想を持つかなあと、そちらに興味があります。
実は、かなり早くに、事件の見当がついちゃいました私。
こういう時、道尾さんの作風を知っていると損ですね。周到に張り巡らされた伏線が目について、ああこれは後で、だーいどーんでーんがえーし!に使われるな、と予測してしまう。
いままでの作品から言っても、この亮さんが真犯人じゃないのはすぐわかるし、ひかりさんのお腹の子の父親なんて、瞬殺でしたよ。

警察官を父に持ち、推理小説をよく読むという谷尾さんと、昔の亮さんの事件を担当した時からの付き合いである隈島刑事、この二人が事件の状況を確認するうちに、亮が怪しい何か隠してるぞこいつ、という考えにいき当たる。しばらくして、竹内さんも疑惑を抱く。その彼等三人が、まあ狂言回しみたいな役割になるのですが、実は亮さん自身もそうだった。

殺意と殺人は違う。
何度かこのフレーズが出てきます。
殺意を抱く人は確かにいた。でも、実行されたのは、かねてから殺意を温めていた人がいたからでも偶然でもなく。
事件の真相は、殺意と殺人とは全く繋がらないところにありました。このからくりに作者のたくらみがあったのでしょう。
でも、明らかに動機になりうる関係だった人物はいるのです。

どちらかというと、亮さんの過去の事件の真相が、現在の事件に引っかかって同時に浮かび上がってくる、その上手さが光ります。
そして、彼らのバンドがただの物真似バンドだよ、と何度も強調されているのも、家族の血の繋がりの生々しさとその反対の虚しさも、何より忘れちゃいけない冒頭のエレベーターでの会話の意味も、全てが、事件を暗示しているのですよ。

無駄なところが一つもない。

多くの人が、おそらく今年のベストに挙げる作品になるだろうと思います。

でもごめんなさい。私は好きじゃないですやっぱり。

どこかのムック本で、道尾さんが「黄金期の古典ミステリをほとんど読んでいない、自分たちの世代は古典を読んだ新本格の先生方のミステリを、その古典のエッセンスを含めて読んできたのだから」みたいな意味の発言をしてらしたのを目にしました。
でもその古典ミステリを、私は、現在のミステリの教科書とかルーツとして疎かにするべきじゃないと思うので、やっぱり代表的なものだけでもちゃんと読んでおいてほしいのです。
教科書を見ないで参考書だけでテストの解答を埋めるような、そんな感じ。
アクロバティックにどんでん返しを多重構造にして、ミスリードの連続技でもって、パタパタパタと幾つもの扉が一気に開いて一本の道になっていくような、そんなミステリよりも、じっくりと腰を据えて謎と向き合い、ジグソーパズルのピースのように手がかりを拾い集めるミステリのほうが、本格ミステリというにふさわしいのではないでしょうか。

…単に好みの問題ですかね(苦笑)。

同じ多重構造を得意とする三津田氏の作品に見える横溝正史ばりの奥行きが、道尾さんのにもあればなあ、と思います。

ただ、この作品は、最後に明るい光が射してきます。
読後感はいいですよ。

それが救い。


(2008.02.06)
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