こんな本読みました。

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『死刑でいいです』 池谷孝司 編著

2009/12/15(火) 13:50:05 エッセイ・ノンフィクション THEME:読んだ本。 (ジャンル : 本・雑誌 EDIT
 そう遠い前のことではない事件なんですが、大阪のあるマンションで、若い姉妹が1人の男に惨殺されるという痛ましい事件があったことを覚えておられるでしょうか。
 この本は、その犯人、山地悠紀夫の生い立ちから事件を起こし逮捕・起訴されて死刑が確定するまでのドキュメンタリーと、彼のことを知る弁護士や医師、そして発達障害と共に生きている人たちへの取材などを、ターニングポイントごとに区切って纏めたものです。
 事件があまりにセンセーショナルで、かつ常軌を逸していたために、発達障害をもつかたがたへの偏見や、当時同じように理解に苦しむ事件が多発していたこともあり、犯人・山地の人となりや彼自身の言葉など、知らないことも多いはずです。
 今後、裁判員に選ばれたとして、担当する事件がこんな悲惨なものだったとき、どう判断すればよいのか、その考える手立てのひとつになるかもしれません。
 最初にお断りしておきます、これから先は、私個人の極私的な感情や環境のことまで書いています。そんなもん読みたかないや、と思われたかたは、ここでストップしてください。



………これは辛かった…。事件の悲惨さ、遣り切れなさも勿論ですが、実は私自身が、この障害があるのではないかと散々悩んだことがあるからです。
アンタは変わってる、とよく言われますし、ぶっちゃけ実の両親にも「お前は分からん」とはっきり面と向かって言われたこともあります。とうに成人していた私に対してです。二十年以上かけても娘のことが分からない親…。ショックというより、絶望、でした。
私はとにかく行動が時に突飛で奇矯で、でもその自覚がその時々の私自身には無いことも(かなり経ってから、あーあれはまずかったなあ、とか)。
なので、ADHD、アスペルガー症候群、もっと広く広汎性発達障害などの特徴を挙げたら、私にも当てはまることがひとつやふたつじゃない。もし、私の中のどこかが、周囲の何かがひとつでもズレていたら、こうした凶悪犯罪を起こしたのは彼じゃなくて私だったかもしれない、とおもうその恐怖が。今でも障害があるのかないのか、分からないままです。検査するのが怖い。

でも、最後まで読まなければ、不運にして被害者となってしまった姉妹への供養にもならないし、私自身への不信も薄まらない。ところどころ泣きながら読みました。事件の描写は、報道だけでは知らないことも多くて、あまりの凄惨さ、残虐性に絶句しました。人間のすることじゃないよ。ていうか、動物だってしないよこんなこと。じゃあ、やっぱり彼は、地上の生物じゃなく、忌まわしいだけの存在だったのか…?と言われると、それも違う気がする。彼は彼なりに、適応できるコミュニティもあった。周囲が、フォローが万全だったなら、彼の家庭がもう少しあったかいものであったなら、こんな怪物は形成されなかった。そうおもう。

そしてこの彼について。
母親を殺したことに感情はなかった、と言ったそうですが、「自分に何も母親らしいことをしなかった。彼女に無言電話をしたり、自分の稼いだお金を盗んだり。だから殺した」という理屈は、言い換えれば母親への期待と失望です。母親なんだから子どもの自分にはこうして欲しい、母親らしいことをしてほしいという期待感があり、それをことごとく裏切られた怒りがあったはず。そうした感情でもって母親を見ていたはずで、理屈っぽいとか感情論は拒否するとかいう彼の防御は破綻しているとおもいました。
もっとも、山地にそう言ってみても、やっぱりわけの分からない理屈で跳ね返されて、彼自身には掠りもしないのかもしれませんが…。
でも、周りにいる人間関係のうち女性には心を開くとか、かなり子どもっぽいというか本能が剥き出しのところもあるようです。そこらへんを突いていけば、山地はいずれその穿たれた穴で少し崩れるかもしれない。
その上で、もしこの姉妹殺人事件が現在の裁判員裁判で審議される案件で私がその裁判員に選出されたとしたら、私はそこを聞いてみたい。しつこくしつこく。そしたら、ひょっとして彼の精神は揺れ動いて本音の一端でも垣間見えたかもしれない。感情を拒否する人間には、その独自の理論を徹底的に否定して、感情を揺さぶってやればいい。そして彼の人格を壊してやればいい。極論ですが、自分を壊されることは死刑になることよりも、彼にとっては辛い刑罰だとおもう。

この本は、死刑囚・山地の過去から大阪の事件まで、そして判決までの流れを著者なりの視点や思いを挟みつつ記述した本線と、精神科医やカウンセラーや、この障害に苦しむ人々の会のことなど、「山地が起こした大阪の事件は、どうして防げなかったのか?」という観点からのインタビューやコラムの部分があります。

私自身が最初に書いたように、かなり境界線上に立つかも知れない人間にとって、カウンセラーだのお医者さんだののインタビューは的外れというか核心から外れているような気がしてピンとこなかった。
むしろ、最終章の、当事者の人たちの会の代表の、率直なおもいの方が、はるかに実感できました。
これが、私が自分を危ぶむ理由のひとつです。当事者の心情や説明や会話の方が納得できるなんて、普通になんともないかたには分からないでしょうね。

ただひとつ、疑問なのは、大阪での姉妹殺人事件を防げなかったことをいろんな人に聞いているこの本、どうして実の母親を殺した最初の事件について、「母親殺しを防ぐことはできなかったか?」という問題にはあまり突っ込んでいないのかなあ。母親殺しが大前提で、大阪までの転落を語る。そもそも母親を殺害していなければ、姉妹の殺人には至らなかった。母親が、または山地少年がSOSを出していなかったとは思えないし、父親の死別に始まる歪みを、児童施設に入れるとかいう手段で母親から離すとか。母親とは別に暮らすことになっても、どうにかして2人ともが生きていける道を、山地少年のために考えてほしかったな。


ところで、面白いのは、このドキュメンタリー本、メディアマーカーユーザーと読書メーターユーザーでは、感想がまったく正反対なんですよ。不思議。
私としては、メディアマーカーのレビューの中にあった、少年院の関係者のかたの感想を読んで、それだけでもこの本が書かれた意義があったんじゃないかと、少しほっとしました。

最後に、大阪での事件、この姉妹のご冥福を心からお祈りするとともに、ご遺族には改めてお悔やみ申し上げます。
お辛いでしょうが、せめて少しだけでも光を感じてください。不運な事件に巻き込まれてしまった、かけがえのないお嬢さんたちのぶんまで、一分でも長く、この世界に生きてください。娘さんたちは、山地の目にとまってしまったという不運ではあったけれど、不幸な人生ではなかったとおもいます。こんなに温かい家庭で育って、まわりの人たちと良好な関係でいられて、どれひとつ山地の持ち得なかったもので生きていたのですから。


(2009 共同通信社)
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