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『日本の殺人』 河合幹雄 著

2009/07/24(金) 02:40:14 新書 THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 なんって直球なタイトルでしょうか(笑)
 私はネットで取り寄せましたが、実際に大型書店でこれを持ってレジに並ぶのはちょっと躊躇います。
 でも!
 これは名著です!
 法律を勉強しているような学生さんとかは勿論役に立つでしょうが、私のようにただミステリ好きが高じてしまったけったいな人間にとっても、「何故ミステリを面白く読むのか」という問いかけに対する答えのひとつがあるように思います。
 そ、れ、に !



この著者である河合先生は、法社会学、つまり犯罪学者さんです。
私はこれを読んでる間中ずっと、妄想100%の火村准教授に脳内変換しておりました(爆)
おそらく、犯罪社会学者としての火村先生も、フィールドワークの研究論文を纏めたり著作を出すことがあったとしたら、ほぼこんな感じになるんではないかと♪
そう思うと、ヒムラーとして読むのにも熱が入るってもんです。

世の中にはいろんな犯罪がありますが、タイトルとおり《殺人》に特化した内容で、殺人の定義から種類、犯罪者の類別、警察の捜査から逮捕そして裁判、裁かれた人のその後のこと、死刑の是非、そして問題山積みの裁判員制度について。

いやー、眼からウロコなことがてんこもりでした。

栞を挟んだ部分、だけでも箇条書きにすると。(↓ここからネタバレ)

・戦後、また欧米と比較して、強盗など他の犯罪と比べ殺人事件は減少しているし、また極端に少ない。
・「犯罪白書」にある“殺人”の項には、実際には“殺人未遂”と“殺人予備”の数も含まれる。また、殺人の既遂事件に“強盗殺人”は含まれない。
・ほとんどの殺人事件は、家族内(近親者)で起こる。
・同情すべきような子殺し親殺しなどの場合、犯人を起訴猶予や執行猶予判決にして釈放すると、罪の意識に耐えかねて自殺してしまう危険性がある。よって、殺人罪の下限程度の刑にして罰を受けたと納得させ、衝動的に自殺してしまわないように時間をおく。
・放蕩者殺しの量刑は軽い。
・殺人罪が成立するためには殺意がなければならず、その客観性として致命的な結果を招く「凶器」の存在が必要。
・「人間関係の希薄化」が殺人事件の減少の要因ではないか。
              ・
              ・
              ・

(ココまで)


あとは、興味を惹かれたかたがご自身で読んでいただいて、へぇボタンをバンバン押しちゃってください(笑)

こうしてみると、いかにテレビなどのマスコミに毒されているか恥じ入るばかりです。
少年犯罪や猟奇的殺人などセンセーショナルな事件にばかり目が行っていて、本当のところ殺人事件というのがいかに稀でそれでいてありふれているのか。
被害者も加害者も、私と同じ普通の生活をしている人間であることをどれほど失念しているか。反省しきりです。

また、裁判で刑が確定して刑務所に行き、少しずつ更生して社会復帰することがどれほど難しいか。
その流れで論じられている、ハレとケの概念に、唸ってしまいました。

そしてなんと言っても死刑制度の廃止か存続かについて。

最近、「死刑になりたかった」とか「複数人殺したからどうせ死刑になる」と開き直る殺人犯が現実に多く感じられるということから、死刑制度が犯罪抑止力にはならないということと、だから死刑を廃止しても構わないということは別なのだと。

死刑を無くしてしまったら、裁判において被告はもとより遺族も被害者も、判決が予想できてしまう。それは思考停止を意味する。
裁判とは、一人一人の罪に大して丁寧に向き合うという場であり、緊張感を持続させるための場でもある。死刑制度がなくなることは、その緊張感を奪い、犯罪抑止力にならないという以上に、死ななければ赦されないという日本の伝統がなくなることでもある。

人が人を殺すとはどういうことか。
殺人を忌避する理由はいくつもあるけれど、その強すぎるほどのタブーを破ってまで殺人に手を染めてしまうその理由は、現実の事件で明らかなようにただカッとなって殺してしまったという場合が大半であり、たとえ誰かを恨む動機を持っていても殺人を空想するのが関の山。この「空想から実行に踏み切るための何か」を、小説や映画のテーマとして描かれている。


殺人の魅力、とは、

殺す「自由」である。

という最後は哲学になりますが、「神を殺した個人」である近代の個人の特性に、人を殺す自由が含まれるという見方になるそうです。

ここまでくるとさすがに慄然としますが、これからの裁判員制度にもかかわる避けて通れないテーマであろうと思います。
そして著者である河合先生は、裁判員制度について、

「被告人をよく見て、その人物と、どう共存していくのか、あるいは共存しないのか決めるしかない。神が決めてくれないなら、判断を避けることはできないと覚悟すべきである」
「見ているだけでなく、決められたことをするのでもない。自分の判断が歴史を生み出す。その本物感は宝物である」
「勇気を出していくしかない」

と述べられています。

なんと分かりやすいこと。

素人が量刑を決めるそのリスクを自覚して、その対価として得られるものがある、ということです。
それは責任ある社会の構成員という認識。
ただテレビの前で無責任に一方的に批判するだけの時代は終わりつつあるのでしょう。

また火村准教授のフィールドワークという妄想に入ってしまいますが、おそらく火村先生もこういう思いで事件にかかわっているのだろうなあと、フィクションのキャラクタであるにもかかわらず、ものすごくリアルに感じられたのです。
徹底的な無神論者であり、死刑制度の存続に賛成であり。
そして。
「人を殺したいと思ったことがあるから」と言う理由で犯罪学者になりフィールドに出る。「向こう側に飛んだ人間をこの手ではたき落とすことが、こちら側に踏み止まった人間の礼儀だ」という飛躍にしか思えなかった主張も、なんとなくわかるような気がするんですよね。
これからの作品でも火村先生の過去や悪夢の詳細が語られることはないと思いますが、よく出てくるシーンの「何様のつもりだ」とか「狩人のようだ」という火村先生への批判は的外れであり、アリスさんが気を揉む一因ではあっても、火村英生という探偵の存在を否定するものではないのだと、改めて思いました。

(2009.6 ちくま新書)
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