こんな本読みました。

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『脳はあり合わせの材料から生まれた』ゲアリー・マーカス 著

2009/05/02(土) 19:44:22 エッセイ・ノンフィクション THEME:読んだ本の感想等 (ジャンル : 小説・文学 EDIT
 あー疲れたあぁぁ★
 1月に買ったこの本、一回途中で放置しました。で、昨日やっと、もう一回最初から読んでみようと思い立って、どうにかこうにか読了。
 面白いんですけど!ただ、どうしても学術書とかこういうサイエンス関係のノンフィクションって、内容を自分なりに咀嚼するのに時間がかかるんですよね。
 こういうのにも興味のあるかたならともかく、全く読まないかたには何のお役にも立たないエントリでしょうが……。



《クルージ》

このアメリカのセンセイが言いたいことを一言にすると、これ。

対する私は全く未知の言葉でした。ああ無知なことよ…★

もし人類が、神をモデルに創造されたものなら、または霊長類という名のとおり動植物の中で最も優れた種であるとしたなら、なぜ人間の心は、思考は、これほど矛盾に満ちているのか。完全な存在のコピーだというなら、私達も完全な身体と完全な心を持っていてしかるべきじゃないのか。

ところがそうではないことを私達は身を持って知っている。

ダイエットしようと決めたそばから甘いものに手を伸ばす。

タバコが身体に有害だと証明されているのに、どうしても止められない。

鬱状態に陥る人が後を絶たない。

こういう思考や心の未成熟な様相を、このマーカス教授は、「進化の段階において、そうした思考や心の面が疎かにされた結果、急場しのぎ的にしか発達できなかったから」と、そんな風に書いています。
クルージとは、設計・計画された完璧なものではなく不恰好で、あり合わせの出来そこないのものだが、当座を凌げればとりあえず十分だとする、というものだそうです。
そして、人間のこの不完全な脳も心も、そのクルージであると。

コンピュータのように精確無比な言語も持たず、合理性からは程遠く、それどころか明らかにマイナス要因であるのに、それでもこのように人類の歴史があるのはその時代を生きる人々にとって究極の合理性や整合性よりも、快楽優先とか心の葛藤とか、あるいは文化・芸術から政治や戦争に至るまでの不合理を積み重ねながらの進化を良しとする、クルージというヒトの存在。

言語学と進化心理学者であるマーカス博士は、数々の実験結果を引用して分かりやすく説明してくれるので、難しくはないんですがただ脚注が多くて読み進める流れがしょっちゅう止まるのが難点といえば難点。
でも、ココでも何冊がご紹介している竹内先生と同じで、博士号を持ちながら専門的に過ぎる事はなく文章表現も豊かですし、何より自分自身の欠点を引き合いに出して読者を安心させてくれるのです。

私がこれを読んでて思うことは、やはり、このクルージこそが人間なんだなあと。
この矛盾だらけのいびつな生き物が、文化を作り上げ芸術を生み出し、世界を彩り豊かにみせてくれているんでしょう。

それがひとつは小説という形になる。
そして私は喜んで、クルージであるところの言語を綴った小説を読むのです。
小説は、特にミステリー小説は、このクルージを《叙述トリック》と呼び方を変えて、楽しむ。ミステリーの根幹です。

また、幸福感。
人間には色々な欲がありますが、大金持ちであろうと高級なモノに囲まれようと、決してその幸せな気持ちがずっと続くわけじゃないですよね。
次、またその次を望んでしまう。キリがない。
これは、クルージという心の動きというよりは進化自体が、人間を幸福を追い求めるようにつくった、ということですが。
これは別に新しい考えでもなく、だから現状に甘んじて生きなさいというほど無気力でもなく。
ただ、「幸福」を「快楽」と言い換えるなら、幸福感を違う面から考えて見ることもできるでしょうか。

最終章の中に、思考する生物としてもっと進歩を望むとしたら、とした上で、13の提案が書かれています。
これをどこかで最近見たなあと思ったら。
これこそ竹内先生のベストセラー『99.9%は仮説』と、ほぼ同じ理論ではないのかなあ。
そんな気がしました。

最後のページに、素敵な一節があります。

《子どもたちのための哲学》というカリキュラム。

これ、日本の先生にも応用できるんじゃないでしょうか。

よく、幼稚園や保育園の園児がクレヨンで描いた絵で、その子の心理状態を類推することがありますが、あれと同じ理屈を義務教育のうちに取り組んだみたい。
もし、心がまだ柔らかい子どものうちに、こういう思考実験とか研究として実践されたとしたら、将来のキレる子ども、または17歳という閾域値の論調が劇的に変わるような気がします。
自分の思っていることを、自分なりの言葉で表現できる手段を持つ子どもは、多分キレない。

この本は、形而上学としても形而下学としても、参考になると思います。

自分自身をを顧みるということでも使える1冊。

興味が湧いたら、ぜひどうぞw


(2009.1 早川書房)
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